カテゴリ: 京都からぶらり

泉岳寺の赤穂義士の墓所に入ってすぐ右側に並ぶのが、三河岡崎藩水野監物の芝中屋敷に預けられた9名の墓石である。入ってすぐが、神崎与五郎則休(表門:38才)で、大高源吾、萱野三平と並んで、浅野家の三俳人と呼ばれ、赤穂浪士の中で酒豪として知られている。忠臣蔵で ...

長府藩は長州藩毛利家の支藩で、営団地下鉄日比谷線「六本木駅」の、港区六本木6丁目、現在の六本木ヒルズの辺りにあったという。長府藩毛利家上屋敷跡には六本木ヒルズが建っており、ヒルズ内の毛利庭園が往時を偲ばせ、ひょたん池の傍らに跡地を示す標柱がある。『この地 ...

前原伊助宗房(裏門:40才)、伊助の出自も随分と脚色され、前の名を原田次郎吉といい、ある時、下坂十太夫という侍と口論となり、試合で十太夫を負かしてしまい、その事で下坂家は断絶となってしまう。後に赤穂藩の月岡十郎左衛門に仕えるが、月岡が斬り殺されると、主の ...

杉野十平次次房(裏門:28才)といえば俵星玄蕃との話で知られ、三波春夫の長曲(約9分の長さ)「元禄名槍譜 俵星玄蕃」でその関係が語られている。「姿そばやに やつしてまでも 忍ぶ杉野よ せつなかろ・・・」と、夜なき蕎麦屋の十助として吉良邸を探っていたが、俵星 ...

泉岳寺墓所の中央に立っている墓石が、長府藩毛利家・毛利甲斐守綱元の江戸下屋敷に預けられた赤穂義士である。この藩は赤穂義士に対しては厳格に接し、当初は罪人扱いをしていたようである。この屋敷に預けられたのが、岡島八十右衛門常樹(表門:38才)、20石取りの札 ...

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