カテゴリ: 京都からぶらり

千馬三郎兵衛光忠(裏門:51才)は、直言実直の人物で融通が利かず、主君の内匠頭にも諫言をし、不興をかい閉門まで命じられ、浅野家を暇乞いする前に刃傷沙汰が起こり、嫌われていても、「君、君たらずとも、臣は臣」であるとして、同志に加わり吉良邸に討ち入っている。 ...

菅谷半之丞政利(裏門:44才)は、山鹿流の兵学を学び、免許皆伝を受けたという。忠臣蔵では、父・半右衛門は、後妻に若い「岩」を貰ったが、お岩は半之丞の有ること無いことを半右衛門に告げ、半之丞は勘当されるのである。風の便りに父・半右衛門が亡くなったと聞えてく ...

それと、伊予松山藩松平家の下屋敷に預けられた10名。伊予松山藩は15万石で、家康の異父弟・松平定勝が桑名から移封されたもので、この当時は4代目の松平定直が藩主であった。三田二丁目の、現在のイタリア大使館が立つ辺りにその屋敷があったのである。奥から、大石主 ...

岡崎といえば、徳川家康誕生の地であり、水野家は徳川とは親密な関係であった。その中屋敷が、JR田町駅を降りた芝5丁目辺りにあった。『この地周辺は元禄赤穂事件で、吉良邸討ち入りに加わった赤穂浪士四七人のうち九人が預けられた岡崎藩水野家芝三田屋敷の一部です。水 ...

寺坂吉右衛門信行(裏門:38才)は、四十七士のなかで最も身分の低い足軽であり、士分ではない。大石は寺坂の身分を考えて、同志に加えることをためらうが、寺坂の強い意志に負け同士に加えている。大石らと共に吉良邸に討ち入るが、泉岳寺への引き上げの中には、寺坂の姿 ...

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