宇治橋西詰、あがた通りの大鳥居を抜け南に2分歩くと、小さな社二つを持った「橋姫神社」がある。
『古代より、水辺、特に橋は心霊が宿るところとされており、橋姫はその守り神です。
瀬織津比咩(せおりつひめ:穢れを祓う神で、水の神であり桜の神である。諸々の禍事、罪、穢れを川から海に流す妃神である)を祭神とする橋姫神社は、明治3年の洪水で流失するまでは宇治橋の西詰にありました。
境内には橋姫神社とならんで、同じく水の神である住吉神社が祀られています。
交通の要衝として発展してきた宇治にとって、宇治橋はとりわけ大きな意味を持っており、橋姫神社を巡って数々の伝承を生み出しています。
また、宇治が主要な舞台となっている、源氏物語宇治十帖の第一帖は、「橋姫」と名付けられており、橋姫神社はその古跡となっています。』
出典:【橋姫神社の説明文】より
橋姫にまつわる伝承とは、もともと橋姫は嫉妬深い神だと言われ、縁切りの神としても有名である。
嫉妬に狂う女としての橋姫は、平家物語の異本である「源平盛衰記」の「剣巻」を原型として語られているのだが、要約すると、
嵯峨天皇の時代に、公家の娘がある女を妬み、貴船神社に7日間こもり「鬼神となり妬む女を取り殺したい」と願掛けをすると、貴船明神は「姿を変えて21日間こもり祈願せよ」と告げる。
娘は今でいう「丑の刻参り」の姿に身を変えて、宇治川に21日間浸ると、生きながら鬼となるのである。
この鬼こそが「宇治の橋姫」である。
鬼となった橋姫は妬んでいた女を殺すと、あたり構わず京の人々を殺し始めたのである。
「剣巻」はここから一条戻橋での渡辺綱による鬼退治の場面へと変わってゆくのだが、
この場面は、「渡辺綱の鬼退治」で・・・
渡辺綱の鬼女退治(一条通)-千年の都に潜む謎- : 京都より愛をこめて (livedoor.blog)
渡辺綱の鬼女退治(一条通)-千年の都に潜む謎- : 京都より愛をこめて (livedoor.blog)
「剣巻」の話がもとになり謡曲の「鉄輪」が演じられ、丑の刻参りの姿が絵となって具体化されるのである。
「丑の刻参り」は、「鉄輪井」で・・・
また、源氏物語が宇治に舞台を移す第一帖が、巻45帖の「橋姫」であり、その古蹟がこの橋姫神社である。
四十五帖「橋姫」は(薫20-22歳10月)
源氏の弟八の宮は二人の娘とともに宇治に隠棲し、仏道三昧の生活を送る。みずからの出生に悩む薫は八の宮の生きかたを理想としてしばしば邸を訪れるうちに、ふとしたことから長女大君に深く心を引かれるようになる。
都に戻って薫が宇治の有様を語ると、匂宮もこれに興味をそそられるのであった。
出典:【Wikipedia源氏物語あらすじ】より
与謝野晶子は
「しめやかに こころの濡れぬ 川霧の 立ちまふ家は あはれなるかな」と詠んだ。|
四十五帖「橋姫」の巻名は、晩秋の月の夜に、薫君が琵琶と琴をひく姫君の美しい姿を見て詠んだ、
「橋姫の 心を汲みて 高瀬さす 棹のしづくに 袖ぞ濡れぬる 眺めたまふらむかし」(姫君たちのお寂しい心をお察しして、浅瀬を漕ぐ舟の棹の、涙で袖が濡れました、物思いに沈んでいらっしゃることでしょう)に因む。
駒札には、
『「その頃、世に数(かず)まへられ給はぬふる宮おはしけり」と「宇治十帖」は書き始められる。
光源氏の異母弟の八宮(はちのみや)は、北方(きたのかた)亡き後、宇治の地で、失意と不遇の中に、二人の姫君をたいせつに育てながら、俗聖(ぞくひじり)として過ごしておられた。
世の無常を感じていた薫君(かおるのきみ)は、宮を慕って、仏道修行に通い、三年の月日がながれた。
晩秋の月の夜、薫君は琵琶と琴を弾かれる姫君たちの美しい姿を垣間見て、「あはれになつかしう」思い、
橋姫の心をくみて高瀬さす 棹(さお)のしづくに袖ぞぬれぬる
と詠んで大君(おおいきみ)に贈った。
出家を望まれる八宮は、薫君を信じ、姫君たちの将来をたのまれる。
その後、薫君は、自分が源氏の実子ではないという出生の秘密を知ることになる。』
出典:【源氏物語 宇治十帖 橋姫の駒札】より
またここには宇治七名水の一つ「公文水」が湧き出ていたのだが、今は涸れてしまい石碑のみがその名残を留めている。
京都駅から橋姫神社には、
JR奈良線で「宇治」(所要時間18~30分)下車、宇治橋に向かって徒歩10分
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