1週間ほどお休みしていましたが、今日から「京の名水」を再開いたします。

「西大路八条でバスを降りると、西大路通を挟んで東に「若一(にゃくいち)神社がある。
ここには、平清盛の病を治したという「御神水」がある。

01若一神社mid
若一神社は、清盛が仁安元年(1166)に、別邸の地中から見付けた御神体を、西八条殿の邸内に祀ったのが始まりで、翌年、清盛が太政大臣になったことから、開運出世のご利益がある神社として信仰されている。
この辺りは、もともと平清盛の西八条殿があった所で、現在の梅小路公園までに及ぶ広大な敷地で、50余の屋敷が立ち並んでいたという。
清盛は出家後、福原(現在の神戸市兵庫区)に住み、ここは妻の時子が留守を守っていた。
その後、清盛が亡くなると平家は源氏に押され、寿永2年(1183)の平家都落ちの際に、自ら火を放ち総てを焼き尽くし、都を去るのである。
今はその面影を偲ぶ縁(よすが)もないが、若一神社が僅かにその名残を留めている。

02クスノキmid
神社の前、西大路通にはみ出すようにあるのが、清盛手植えと言われるクスノキである。
西八条殿が焼け落ちた時にも焼けずに残り、その後このクスノキを切ろうとしたり、移そうとすると、必ず祟りがあったという。
その為に西大路通は、このクスノキを避けて通っているのである。

03御神水mid
境内には平清盛が高熱を出した時に、身体を冷やして病を治したという水が湧いている。
古くから名水として知られ、開運出世の水として、産湯に用いられる。
その横には、平家物語「祇王の事」のなかで、祇王が詠んだ「萌え出づるも 枯るるも同じ 野辺の草 いづれか秋に あはで果つべき」との歌碑が建っている。

京都駅から清明神社には、
市バス、B3乗り場から208系統で「西大路七条」(所要時間13分)下車