京都駅から歩いて7分ほどの下京区木津屋橋通堀川西入る東側に「芹根水(せりねすい)」の石碑が建っているのだが、ここはその井戸があった場所ではない。
元々は、堀川通木津屋橋下るの堀川沿いに湧いた水で、江戸時代の書家・烏石葛辰(うせきかつしん:1699~1779))が寄進した井筒で囲み、側に「芹根水」の銘を書き石に刻んだという。
京の七名水の一つといわれ、文人、茶人に親しまれたが、大正3年(1914)堀川の改修工事で水が濁り、井筒も失われてしまい石碑のみが堀川の護岸に残されていたのを、昭和57年(1982)の堀川暗渠に伴い西に130mほどの現在の地に移された。
説明書きによると、
『芹根水は、むかし洛中七名水の一つに数えられた。
安永9年(1780)の「都名所図会」によれば「芹根水は堀川通木津屋橋の南にあり、近年書家・烏石葛辰(うせきかつしん)、清水に井筒を入れて傍らには芹根水の銘みづから(中略)書して石面に彫刻す云々」と記し、石の井筒から清水が湧きだして堀川に流れこむさまを図示している。
江戸時代の著名な書家・烏石葛辰(1700~1779)は、葛烏石、烏石山人とも号し、洛中名水の保存と顕彰に務めた。
この碑もその代表的な一つであり、惜しくも年銘はないが、今から約二百三十年前宝暦年間の製作と考えられる。
以来この名水は文人墨客、茶道家、商家一般に長く愛用されたが、時移り大正3年(1914)堀川改修に際して濁水混入し、井筒も失われ、独り碑のみが護岸中にのこされていた。
いま堀川暗渠工事に先立ち、碑を河中より引揚げその保存を図るも、飲水を大切にした古人の心を現代に伝えたい願いにほかならない。』
出典:【芹根水の碑(江戸時代後期、花崗岩(白川石)】より
芹根水の石碑の隣には、烏石葛辰が記した「文房四神之碑」がある。
説明書きによれば、
『江戸時代の書家・烏石葛辰の書と伝えられる。葛辰は「芹根水」の書家でもあり、この附近の下魚棚通り西堀川角に居住していたという記録が残されている。
文房四神の碑は、南方・朱雀を筆、東方・青龍は硯、西方・白虎を紙、北方・玄武は墨となり、これは筆硯紙墨(ひっけんしぼく)を四神になぞらえて崇敬したものである。
この碑は、道祖神社の「書聖天満宮」に建てられていたが、神社の改築に伴い平成6年7月、ここに移設された。』
出典:【文房四神之碑の説明板】より
京都駅から芹根水の石碑には、
京都駅から徒歩7分
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