仏光寺の北、仏光寺通東洞院東入るに洛央小学校がある。
この小学校は、京都市内の中心部にあり、時代と共に生徒数の減少により、5つの番組小学校が統合された学校で、豊園小学校跡に建てられている。
因みに統合された学校は、
京都市立格致小学校(下京第8番組小学校)
京都市立豊園小学校(下京第10番組小学校)
京都市立開智小学校(下京第11番組小学校)
京都市立修徳小学校(下京第14番組小学校)
京都市立有隣小学校(下京第15番組小学校)
で、平成4年3月31日に閉校となり、4月1日から洛央小学校として開校されている。
洛央小のある場所は、南にある仏光寺とともに、豊臣秀吉の竜臥城があった所である。
秀吉は天正15年(1587)に聚楽第を築城し、合わせて五条坊門高倉に別荘として龍臥城(りゅうがじょう)を造るのである。
龍臥城は秀吉の別荘というのだが、それは城郭であり周囲には堀がめぐらされていたという。
平成4年(1992)の発掘調査では、洛央小学校の敷地から堀跡が見つかったというが、仏光寺やその周辺には、城郭の痕跡は見つかってはいないのである。
洛央小は、下京第10番組小学校として開校し、後、豊園小学校と称されるのだが、ここは豊臣秀吉の竜臥城があった所で、邸内に秀吉が茶の湯に使った名水「豊園水」に因んでその名が付けられた。
竜臥城にあった「豊園水」は、竜臥城の跡に建てられた豊園小学校の敷地内にあって、明治以来、町衆によって永年、守られてきたのだが、昭和43年(1968)に涸れてしまったのだが、平成18年(2006)に洛央小に復元された。
駒札によると、
『天正15年(1587)豊臣秀吉は政庁を二条の妙顕寺から新造した聚楽第に移し、聚楽第を中核として京都の城下町への改造に着手した。
秀吉は聚楽第南あたりの五条坊門高倉に別荘、龍臥城(りゅうがじょう)を造って、邸内の井戸から湧き出す上質の水を「豊園水」と名付け、茶の湯に用いた。
元豊園小学校の校名は、この豊園水にちなんでつけられたものである。
現在の豊園水は、明治31年に学区内の人々によって修理され保存されたもので井戸枠は当時を偲ぶものである。』
出典:【豊園水の駒札】より
京都駅から洛央小には、
市バス、A1乗り場から5系統または、B2乗り場から101系統または、D3乗り場から26系統で「四条烏丸」(所要時間12・9・11分)下車、徒歩6分
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