四条堀川で市バスを降りると、京菓子「亀屋良長」さんの店先の駐車場に、京都市電の線路の敷石に使われていた石が敷いてある。
その亀屋良長さんの店の西に、名水・醒ヶ井がある。
佐女牛井とも書くこの水は、古く京の三名水といわれ、千利休もこの水を使って茶をたてたといわれている。
亀屋良長は和菓子の店でここに湧き出る地下水を使い、美味しい和菓子を作ったという。
しかし、昭和37年、阪急の地下工事で水が枯れてしまうのだが、平成3年に井戸を掘り直し再び水が湧き出し、「醒ヶ井」と名付け菓子作りに用いると共に、店先の井筒より、こんこんと湧き出る水をを開放しているのである。
駒札には、
『醒ケ井水の由来は古く、元は平安の昔、六条堀川源氏の館内にあり、室町後期、茶道の祖・村田珠光は足利将軍義政公にこの水で茶を献じました。
天正年間、織田信長の舎弟・織田有楽斎もこの井戸水を愛し、戦国の兵乱に絶えた井戸を再興しました。
もとの井筒には元和2年(16161)の銘があり、薮内宗堅の銘文を刻した嘉永2年(1849)の石碑が立っていました。
戦時中の強制疎開で跡形もなくなりました。
醒ケ井の通りは、今では六角通より下、五条通までの間だけとなっています。』
出典:【醒ケ井水の駒札】より
余談です。
茶って水が命なんでしょうね。
何も入れ方で茶の旨い不味いの比は少なく、水とお茶葉とがいかにうまく融合するかなんだろうと思う。
それをさも旨い、不味いなどと政商の道具としたのではないのだろうか。
美味しいものは美味しい、不味いものは不味いのであり、千利休も用済みになれば、無理難題をつけられて詰め腹を切らされている。
と偉そうに言ってはみたが、実は茶の道など何も分からない。
形から入って形を覚え、形を変え、形が変われば思いが変わる、思いが変われば行動が変わると・・・
その形を変えるということによって、行動の変化に繋げていくという思いが、この醒ヶ井をみていたらふ何故か、こんなことが思い浮かんできたのである。
京都駅から亀屋良長には、
市バス、B1乗り場から9系統または、B2乗り場から50・101系統または、D3乗り場から26系統または、C6乗り場から28系統で「四条堀川」(所要時間11・15・13・15分)下車
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