京都一の繁華街といえば「新京極」の名が浮かぶのだが、その繁華街に多くのお寺が立ち並んでいる。
何故、繁華街の真ん中に、こんなに多くのお寺があるのだろうか。

01寺町通mid
これも豊臣秀吉の京都改造に起因しているのである。
秀吉は京都改造で、御土居を築き外敵からの防御の土塁としたのだが、その時に京の町に点在していた寺院を、西の御土居に沿うようにして河原町通の西側に、北は紫明通から南は五条通までの間に集め、寺町通としたのである。
その長さは6Kmにも及ぶという。
秀吉はお寺を集めた寺町通を、外敵からの攻撃に備えた城郭の役目も持たしたのである。

02新京極(1)mid
時は過ぎ、明治維新を迎え政治の中心が東京に移ると、京都は活気を失い沈滞するのである。
これを憂えた京都府知事の槇村正直は、寺町のお寺の縁日で、芝居小屋や見世物小屋が立ち賑わっているのをみて、この界隈に一大遊興地を作ることを思い立ち、明治5年(1872)に寺町にある寺院の敷地をを削って通りをつけ、そこに芝居小屋や遊戯場、小料理屋などを常設し、一大歓楽街としたのである。
それが現在の新京極通である。

03新京極(2)mid
新京極通は三条通から四条通までの550mの短い通りだが、ここが京都でも有数の繁華街となり、秀吉が移転させた寺院がそのまま残っていて、繁華街の中に多くの寺院があるという、不思議な風景が生まれたのである。