京都は京都府として捉えると、日本海に面した舞鶴は港湾都市といえるだろうが、もっと狭く京都市が港湾都市だと言われると、何でと思う人は多い。
京都市は三方を山に囲まれ、海に開けた町ではないのである。

01舟入灯籠mid
しからば京都市が港湾都市だと言われる理由は何んだろうか・・・それは伏見が大きく関係をしているのである。
伏見は平等院に代表されるように、昔は貴族の山荘が多く建ち、源氏物語の舞台にもなった所である。
ところが、豊臣秀吉が伏見に城を築いたことにより、伏見の町はその様相が一変するのである。

02豪川mid
秀吉は伏見城を築城する際に、宇治川の水を引き入れて物資を運び伏見城を造った。
さらに巨椋池と宇治川とを切り離し、宇治川の場枯れを変え、淀川と繋ぐのである。
このことで伏見と大坂が船で結ばれるようになり、三十石船や十石船が大坂との間を行き来するようになる。
森の石松が金毘羅代参で大坂に向かう船の中で、「寿司食いねえ、江戸っ子だってなあ」と清水の次郎長の子分の番付を聞く下りは、この三十石船の中である。

03高瀬川mid
さらに慶長18年(1613)には、角倉了以、素庵の父子により高瀬川が開削されると、京都と大坂が直接繋がることになり、伏見は中継地としての役割も持つようになる。

04寺田屋mid
伏見城が廃城となっても、伏見は物資輸送の拠点として栄え、多くの船宿が軒を連ねるのである。
坂本龍馬が定宿にした寺田屋も船宿である。
このように伏見は、水運に恵まれた地となり、京都が港湾都市だと言われる所以である。