京都市街は平安京の条坊制と呼ばれる、碁盤目状に区画された道路を元にして成り立っている。

01一条大路跡mid
                            一条大路跡(現在の一条通)
条坊制は大路と小路からなり、東西は「一条大路」から「九条大路」までの9筋で、南北は、「東京極大路」と「西京極大路」の間に11筋の大路があった。
条坊制とは、1条を4坊に分け、その1坊を4保に、さらに1保が4町に区分けされていた。
つまり4(坊)×4(保)×4(町)=64(町)となり、1条は64町から成り立っていたのである。
これを基に、一条大路から九条大路の間は等間隔のように思われるのだが・・・
現在の通りと平安京の大路は、五条通を除いてほぼ同じなのだが、実は一条通と二条通の間は、他の条と条の間隔に比べて2.5倍も広いのである。

02大極殿跡mid
                                    大極殿跡
この理由は言われてみればそうだと思うのだが、一条通と二条通との間には、平安京の大内裏があったのである。
今でこそ一条通が京都御所で、二条通が二条城で分断されているのだが、平安京の当時には条理を分断するという考えは及びもつかず、大内裏の北側に一条大路(一条通)を、南側に二条大路(二条通)を造ったがゆえに、この間だけは、大内裏の建物の幅に合わせて広くなったのである。