現在、京都の中心部が平安京の都より大きく東に外れたのは、平安京は右京(西)はもともと低湿地帯で住むのに適さない土地で、右京よりも左京(東)が栄えることになる。
今、京都御所や二条城も平安京でいう左京にあり、いつのまにか左京を中心として町が発展してゆくのである。

01四条河原町mid
京都で一番の繁華街といえば「四条河原町」界隈なのだが、実はこの辺りは平安京の外だったのである。
平安京は河原町通の一筋西の寺町通が平安京の東端にあたる「東京極大路」であり、ここより東は平安京の都ではなかったのである。
先斗町や木屋町、祇園と今では賑やかな町も、平安京の頃は人も住まない都の外だったのである。
鴨川を渡る東山は葬送の地であり寂しい地だったのである。
ちなみに平安京の西端を「西京極大路」だが、早くから廃れてしまい現在の通りは特定出来ないようである。

02左京区mid
京都市の行政区をみると、「右京区」は平安京の右京とほぼ同じ一角であるのに対し、「左京区」は平安京の右京からは、随分と北東にずれている。
平安京の右京にあたる一帯は「中京区」と「下京区」「上京区の一部」が占め、葬送の地であった所が「東山区」となり、その上に「左京区」が割り当てられている。
左京区には、「平安神宮」「南禅寺」「銀閣寺」などがあり、さらに北には「鞍馬寺」「貴船神社」「三千院」、八瀬・大原とその区域は広く、左京区だけで大阪市の面積よりも広いのであるのだが、平安京の左京とは全く違う所になってしまったのである。