京都ほど行きたい所へ行くのに分かりやすい町はないと思っている。
それは、北へ行くのを「上る」、南に行くのを「下る」といい、東には「東入る」、西へは「西入る」という。
それに加え平安京は条坊制の町づくりをし、東西南北が碁盤の目ように直交し整然とした町のなっている。
たおえば、三条通にある「京都文化博物館」は、「高倉通三条上る」、また京町家の「杉本家」は「綾小路通西入る」と表わされ、これでどこにあるのかが判るのである。
こんな判り易い京の町なのだが、京都駅に降り立った観光客が、何故左(西)が右京で、右(東)が左京なのかという疑問が湧くらしい。
しかし少し見方を変えて、京都御所の「右近の橘」と「左近の桜」を例に考えてみると、
ここも、左の橘が「右近の橘」で、右の桜が「左近の桜」となっているのだが、これを見る時には何時も紫宸殿前の庭から見ているので、左が右で右が左という逆転現象が起こるのである。
しかし、これを庭からでなく紫宸殿の殿上から見たとすればどうだろうか。
右にある橘は「右近の橘」で、左にある桜は「左近の桜」であり、なんの違和感もないのである。
それを見る立ち位置が違うだけで、左右が逆になってしまうのである。
平安京の昔には、平安宮の大内裏におわす天皇から見て、朱雀大路を挟んで右が右京、左が左京と呼ばれるのは当然だったのである。
今はそれを羅城門から見るので右と左が逆となるのだが、天皇さんから見れば何の違和感もないのである。
同じことが、川の右岸と左岸にも言える。
正しくは上流から下流方向に見て、右を「右岸」、左を「左岸」というのだが、下流側から見れば左が「右岸」で、右が「左岸」ということになる。
これは右京と左京と々構図なのである。
京都の「右京」「左京」も北側から下りてくると何の違和感もないのだが、京都駅から北に向かうと、川の例えのように左右逆の現象が起こるのである。
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