妙満寺の山門をくぐると、正面に「本堂」があり、その左に檀信徒が寄進をした「仏舎利大塔」、右に「方丈」があり、塔頭の成就院にあった「雪の庭」を、寺町二条から移転の際に、本坊の庭として移したものである。
それに「安珍・清姫ゆかりの鐘」が奉納されている。
妙満寺では、毎年春の大法要に合わせて、鐘供養が行われているのだが、この鐘こそ「鐘に恨みは数々ござる」という「娘道成寺」で知られる、安珍清姫ゆかりの鐘である。
道成寺の鐘といえば、安珍清姫の物語で重要な役割を果たす。
その昔、醍醐天皇の御代・延長6年(928)の夏、熊野詣でに来た僧を、紀州牟婁郡の熊野国造の真砂の庄司清次の娘が、見初めるのである。
僧の名を安珍、娘の名を清姫という。
一目惚れした清姫は安珍に言い寄るが、参拝途中のため熊野詣でからの帰りに再び立ち寄ると約束をし、熊野へと向かう。
しかし安珍はその約束を果たさず、清姫の所には立ち寄らなかった。
清姫は安珍恋しさに、その後を追うのだが、安珍は日高川を越え道成寺へと逃げ込んでしまう。
恋しい人を目の前にして、渡ることの出来ない日高川を清姫は、蛇身に変身をし火を吹きながら渡るのである。
安珍は道成寺の鐘の中に身を隠すのだが、蛇身の清姫は鐘に巻き付き、鐘もろとも安珍を焼き殺してしまうのである。
その後、清姫は蛇身のまま日高川に身を投げるのである。
清姫の怨霊かと、僧侶たちは一心に祈念して鐘を上げたのだが、鐘の音が悪く近隣に悪病厄災が続いたことから、山の中に捨てられる。
その200年後の天正年間、豊臣秀吉の根来攻めで、仙石久秀がこの鐘を山中で見付け陣鐘として使い、そのまま京に持ち帰った。
そしてこの鐘は、清姫の怨念を解くために、法華宗により妙満寺へと納められ今に至っているのである。



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