京都の北に行けば、比叡山の山景は至るところから目に入り、京都と比叡山は深いつながりを持つのである。
叡山電鉄の「木野」駅から歩いて5分、洛北・岩倉の地に妙満寺がある。
妙満寺は、日蓮上人の教えを受け継ぐ、顕本法華宗(けんぽんほっけしゅう)の総本山で、日蓮を宗祖とし、日什上人を開祖とする法華宗の一派である。
日什はもと天台宗の学頭だったのだが、日蓮の教えに感化され、67才で宗派を変え日蓮の下に入る。
その後、京に出て天王寺屋の庇護を受け、康応元年(1389)に、室町六条坊門に一宇を建て、妙満寺と称したのが寺の始まりである。
妙満寺は応仁の乱など幾度も兵火に遭い、都度、寺地を変えて再建されてきたが、天文5年(1536)の天文法乱により、堂塔伽藍を焼失するのだが、天正11年(1583)に、寺町二条の地に戻り、以後、寺町二条の妙満寺として信仰されてきた。
しかし寺町周辺が観光化され騒がしくなると、昭和43年(1968)に、喧噪の地を離れ、現在の地に移転するのである。
境内の建立由来の碑文には、
『顕本法華宗総本山妙満寺は、日什大正師が、叡山三千の学僧を導く学頭の身にあって深く、日蓮聖人の教を感悟信受し六十六歳にして宗を改め、康応元年室町六條に創建せるものなり。
後、豊臣秀吉の時、寺町二條に移転し、元治元年兵火にあい、明治14年、宗祖六百遠忌の際、再建したるも、昭和20年第二次大戦の強制疎開の為、塔頭四ケ寺院とその境内地を失いたり。
しかも残存諸堂の老朽と環境の俗情喧塵、日に著しくなりし為、昭和42年宗内僧俗一結して一山の移転復興を決し、新たに清浄の聖境をこヽ比叡山山麓金剛地に定め堂塔を建立し、日蓮聖人の法水を直々に信受相承せられた什祖不抜の掟「経巻相承法水直受」の法統を高く掲げ、根本道場として霊容をとヽのえたり。』
出典:【建立由来の碑文】より



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