保元の乱を経て平治元年(1159)、勢力を伸ばしていた源氏の棟梁・源義朝と絶世の美女と言われた常盤御前との間に生まれたのが、牛若丸である。
この子が後の源義経である。

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牛若の生い立ちについては、二つの乱をみなければならない。
保元元年(1156)に起こった、父と子、兄と弟の骨肉の争いであった「保元の乱」では、義朝は、崇徳上皇方についた、父・為義、弟の頼賢、為朝と袂を分かち、平清盛と共に後白河天皇に味方をし勝利を収めるが、後に父や弟の助命嘆願をするのだが、聞き入れられず義朝自身の手によって首を刎ねることになる。
また、その後の勲功恩賞では、平清盛よりも低く扱われたことなどにより、3年後「平治の乱」では清盛と戦うのだが敗れて、都を落ちのび尾張国まで辿り着くのだが、従来の家来である長田父子の裏切りにあい、風呂に浸かっているところを斬殺されてしまうのである。
父や弟を滅ぼして確立した源氏の家も、僅か3年で終わってしまうのだが、清盛の温情、はたまた常盤の色香に迷ったか、または傲慢などなどで義朝の子を生かしたことが後に禍根を残し、平家の世も長くは続かなかったのである。