少しお休みを頂いておりました。
広隆寺の続きから、京のかくれ名所を再開したいと思います。
広隆寺には日本で第一号の国宝となった、弥勒菩薩半跏思惟像がある。
この先が、国宝の第一号に指定され、教科書にも載っていて、誰ひとり知らない人はいない「弥勒菩薩半跏思惟像」が展示されている、霊宝殿のあるところである。
弥勒菩薩を見るのは次の機会に譲ることにしたのだが、あとで調べてみると、ここには二体の弥勒菩薩があるそうで、その名も同じ「弥勒菩薩半跏思惟像」なのだが、よく知られているのは、通称「宝冠弥勒」といい、ドイツの哲学者カール・ヤスパースがこの像を「真に完成されきった、人間実存の最高の理念があますところなく表現されつくしている」とまで云った仏像である。
飛鳥時代に造られたもので、赤松でできている。
新羅からの請来仏だともいうが由来は定かではない。
広隆寺は秦河勝が聖徳太子から仏像を賜り、それを本尊として建立したのだといわれており、その本尊がこの弥勒菩薩だと言われている。
聖徳太子の頃に関わる仏像の殆んどは、奈良に集中しているのだが、京都で飛鳥初期の仏像を見ることが出来るのは、この広隆寺をおいてほかにはない。
もうひ一つの弥勒菩薩半跏思惟像と呼ばれる像は、高さ1mほどの楠一本造り漆箔像である。
宝冠弥勒と同く右足を左膝にのせ、右手中指を頬にあてているが、眼が切れ長で、口元が引き締まり憂鬱な泣いているような表情から「泣き弥勒」と呼ばれる。
この像は肩から綬帯を着け、半裸身の宝冠弥勒と異なり、宝冠弥勒が清楚な姿に比べ、武骨な感じがする。
百済からの請来仏といわれ、宝冠弥勒が頭に宝冠をかぶっているのに対して、髷が高く結われていることから「宝髷弥勒菩薩半跏思惟像」と呼ばれる。
そんななかで、昭和35年(1960)8月に宝冠弥勒菩薩の頬にあてた右手を折るという事件が起こるのである。
京都大学の学生がどんな気持ちからか、国宝の指を折るということをしてしまったのである。
当時は誰でも触れることができるほどの距離に置かれていたのだが、こんな不祥事は起こり得なかったのだが、魔が差したと言おうか、頬に当てた指を折ってしまったのである。
触れてはいけないものに触れてしまい、それが予期せぬ出来事を引き起こしてしまったということで、一大センセーションをおこしたのだが、本人は起訴猶予となり、弥勒像も完璧なまでの修復で、折損したことすら分からない姿で今も、広隆寺に安置されている。
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