嵐電「太秦広隆寺」の駅前に瀟洒な総門を構えるのが、聖徳太子の崩御をいたんで建立された広隆寺である。
嵐電「蚕ノ社」から専用路線を通り、この「太秦広隆寺」で再び三条通に出る。
太秦とういう名の由来は、
『昔この辺りは渡来人秦(はた)氏一族が居住し、農耕・機織り・醸造を伝えたとされる。
秦酒公(はたさけのかみ)が、秦氏の諸族とともに多くの蚕を養い、絹などを多く織り、その品々を天皇に献上した。献上された絹布や織物が山の如くうず高く積み重ねられたという。
天皇はことのほか喜ばれ、秦酒公に対して“うずまさ”の号を授けられた。いつしかその称号が地名になった。
飛鳥時代に秦氏の子孫秦河勝(はたかわかつ)が聖徳太子に仕えて仏法を興隆し、太子の菩提のために建立したのが広隆寺であり、太子の「太」の字と秦氏の「秦」を取って、太秦(うずまさ)と読むとしたと伝えられている。』
出典:【嵐電観光マップ 太秦広隆寺のHP】より
また三条通を越した駅の向いには広隆寺の楼門があり、この前を通る嵐電の電車が楼門に溶け込んで、如何にも京都らしい景色を醸し出している。
惜しむらくは、三条通を通る車が邪魔になるのだが、電車が通る時に三条通に車が射ない写真を撮るのは至難の技でである。
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