相国寺を終えて次の「かくれ名所」は太秦にある「蚕ノ社」に向かうのだが、この辺りは、京都盆地の西、桂川流域に住んだ豪族「秦氏」が勢力を持った所であった。
少し秦氏につて述べてみようと思う。
秦氏は秦の始皇帝の子孫といわれる弓月君(ゆづきのきみ)が、一族郎党を率いて中国から朝鮮の新羅を経て、5世紀中頃に渡来したといわれ、山城国葛野郡を拠点として京都一帯に勢力を広げたという。
秦氏は新羅から帰化した氏族で、6世紀末には深草から葛野にかけて広大な勢力をほこり、治水・農耕・養蚕・機織・酒造などの技能集団を形成していたのである。
秦氏が拠点とした太秦の地名は、聖徳太子との親交が深かったことから太子の「太」と、秦氏の「秦」から「太秦」となったとも、
また朝廷に献上する絹織物をうず高く積んだことから「うずまさ」の名が付いたともいわれる。
その名残が、広隆寺を含め、木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)や、梅宮大社、松尾大社(酒造の神)などの寺社があり、秦氏の勢力がいかに大きかったかということが分かるのである。
少し、秦氏に関わるこれらの社寺を訪ねた後に「蚕ノ社」へと向かうことにする。
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