相国寺の鐘楼の横奥に、千宗旦に化けた古狐を祀る「宗旦稲荷」がある。

01鐘楼mid
江戸時代の初め、相国寺の境内に棲んでいた古狐は、門前の豆腐屋や近くの店を繁盛させたり、雲水の僧に化けて托鉢の列に加わわったり、和尚と囲碁を打っていたという。
ある時、古狐は千利休の孫の千宗旦に化け、相国寺の茶会で見事なお点前を披露していった。
後にこれは古狐が宗旦に化けていたことが分かり、以来この古狐は宗旦狐と呼ばれるようになり、相国寺の境内に開運の神として祀られるようになる。

02宗旦稲荷mid
駒札には、
『江戸時代の初め頃、相国寺の境内に一匹の白狐が住んでいた。
その狐はしばしば茶人、千宗旦(1578~1658)に姿を変え、時には雲水にまじり、坐禅を組み、また時には寺の和尚と碁を打つなどして人々の前に姿を現していた。
宗旦になりすましたその狐は、近所の茶人の宅へ赴いては茶を飲み菓子を食い荒らすことがたびたびあったが、ある時宗旦狐は相国寺塔頭慈照院の茶室びらきで、点前を披露していた。
驚いたことにその点前は実に見事なもので、遅れてきた宗旦は、その事に感じ入ったという。
これも、宗旦の人となりを伝えた逸話である。
その伝承のある茶室、「頤神室(いしんしつ)」は現在でも慈照院に伝えられている。
茶室の窓は、宗旦狐が慌てて突き破って逃げたあとを修理したので、普通のお茶室の窓より大きくなってしまったという。
宗旦狐は豆腐屋の店先から油揚を盗み、追いかけられて井戸に落ちて死んだとも、猟師に撃たれて命を落としたとも伝えられている。
化けていたずらをするだけでなく、人々に善を施し喜ばせていたという宗旦狐の死を悼み、雲水たちは祠をつくり供養した
それが今でもこの宗旦稲荷としてのこっている。』
                      出典:【宗旦稲荷の由来の駒札】より



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