瑞春院は、その昔、水上勉が10才の頃に若狭から出て修行をした寺で、あまりの辛さに逃げ出してしまったというお寺である。
水上勉さんの直木賞受賞作「雁の寺」のモデルともされ、氏の修行をしたことにもちなんで瑞春院を雁の寺と呼ぶようになった。

01山門mid
水上勉は、大正8年(1919)に若狭(福井県)の貧しい家に生まれ、10才のときに口減らしのために相国寺搭頭の瑞春院に修行に出される。
しかしあまりにも厳しい修行に耐えかねて、13才で寺を飛び出してしまうのだが、すぐに連れ戻され等持院に移され、ここで17才まで小僧として過すのである。
等持院を出てからは、様々な職業を転々とし、結婚・離婚を繰り返した後に、昭和22年(1947)に処女作「フライパンの歌」を刊行するが、その後10年ほど文筆活動から遠ざかっていたが、昭和34年(1959)に「霧と影」で執筆活動を再開する。
そして小僧時代の経験をもとに「雁の寺」を書き上げ、昭和36年(1961)の第45回直木賞を受賞し、作家としての地位を確立するのである。

02庫裏mid
水上さんの作品は「五番町夕霧楼」しか読んだことはないのだが、数々の作品が映画となっている。
「五番町夕霧楼」は、東映で佐久間良子が夕子を熱演した。この時の佐久間良子は何ともいえぬほど、綺麗だったという。
「雁の寺」は、大映で里子を若尾文子が妖艶に演じていた。
「金閣炎上」は、大映で市川雷蔵が放火犯の学僧、林承賢を好演している。
「飢餓海峡」は、東映で杉戸八重を左幸子が、弓坂刑事を伴淳三郎がシリアスに演じている。水上さんの作品で映画化された中で秀逸とされる一作であろう。
いずれの作品も若狭の貧しい寒村が出自となっている主人公達が、世の波風に翻弄されていくという話なのだが、水上さんの出自となにか重なるのである。
水上勉さんが修行をした雁の寺・瑞春院である。

03塀mid
小説「雁の寺」は、
衣笠山の麓にある孤峯庵は、雁の襖絵があることから「雁の寺」と呼ばれていた。その寺の住職・慈海は若い里子のやわ肌に溺れる毎日を過していた。
ある日、里子はこの寺の小坊主・慈念に目が止まり、その身の上(若狭の貧しい大工の子で、口減らしのために仏門に預けられていること)を知り、里子は同じ身の上の慈念に同情し、身をもって慰めようとある夜、彼の部屋に忍び入り慈念に身を任せるのである。
翌朝、住職の慈海が突然姿を消すのだが、探しても何処にもいないのである。真相は分からないままに、本山より新しい住職が来ることになり、慈念も里子も寺にいられなくなり、寺を出ようとしたときに「和尚のいるところへ旅します」という慈念の言葉に、ハットした里子は、方丈に駆けつけると、雁の画かれた襖絵が無残にも剥ぎ取られていて、慈海が殺されたことを知ってしまうのである・・・