相国寺の搭頭である瑞春院。
その由緒を駒札に見ると、
『本尊阿弥陀三尊仏(鎌倉時代)
由緒
足利義満公が一山派、雪村友梅(せっそんゆうばい)禅師の法嗣太清(ほっすたいせい)和尚を相国寺に迎請する為、その禅室として雲頂院を創設、その後、雲頂院は兵火に罹り瑞春軒に合併、瑞春軒は亀泉集證(きせんしゅうしょう)和尚が1466年から1484年(文正・文明年間)の間に創設。
亀泉集證は俗姓を後藤と言い雲頂院の上足・太清四世の法孫で能筆であり、虞世南(ぐせいなん)の神髄を会得し天竜寺に入寺、陰涼軒日録(おんりょうけんにちろく)を編集した僧録司(そうろくし)の権威である。
寺宇は天明年間に消失し、弘化から嘉永まで1845年から1849年の間、再建され今日の瑞春院に至る。
直木賞受賞の名作「雁の寺」の舞台として有名であり、作者の水上勉氏が雛僧時代を過ごした禅院である。
庭園
当院には今昔の庭があり、南庭を雲頂庭と言う。
室町期の禪院風の枯山水で、枯淡な趣と公案的な作意が禅的世界を象徴している。
北庭は昭和の名庭、雲泉庭、文化庁文化保護専門審査員・文化功労章を受賞された庭園研究の権威、村岡正先生が相国寺改ざん、夢想国師の作風をとりいれ作庭した池泉式庭園である。
茶室
表千家の不審庵を模して造られた久昌庵には、千宗左(而妙斎:じみょうさい)筆の額が掛けられている。
この茶室は数寄屋建築の名工として名高い諸富厚士氏の建築である。
水琴窟
千年の都、京都に数ある水琴窟の中で最も音色が良いと羨望される逸品である。』
出典:【瑞春院「雁の寺」の駒札】より
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