01敦盛mid
「人間五十年、下天の内をくらぶれば 夢まぼろしの如くなり ひとたび生を得て、滅せぬ者のあるべきか」とその一節を謡い、桶狭間の今川の大軍に立ち向かう。
手勢僅か2千騎でとても勝つ戦ではなく、死中に活などではなく自棄のやんぱちで投げた石が偶々当たったようなもので、信長はこれ以降二度とこんな無謀な戦はやっていないことをみても、
「敦盛」を舞って出陣したということが、いかに勝ち目のない戦であったかが見てとれる。しかし、運はつきを呼び桶狭間で今川の首を刎ね、天下統一への道を歩みだすことになる。

02本殿mid
信長は尾張一国を治める為に、弟の信行を始めとして織田一族を滅ぼし、桶狭間でするがの今川義元を奇蹟的に倒し、これを契機にして美濃の斎藤を破り、天下布武への道へと乗り出すのである。
京にあった三好三人衆を駆逐し比叡山を焼き討ちにし、室町幕府15代将軍・足利義昭を京より追放し、天正3年(1575)に、長篠の戦いで武田の騎馬軍団を壊滅させる。
本願寺との石山合戦に決着を着け、武田勝頼の自害により武田家を滅亡させると、中国の毛利攻めに赴くために、京の本能寺に滞在している所を、明智光秀の謀反により本能寺を急襲されるのである。

03建勲神社mid
この時も、寺に火を放ち「人間五十年、下天の内をくらぶれば 夢まぼろしの如くなり ひとたび生を得て、滅せぬ者のあるべきか」と敦盛を謡い、43年の生涯に幕を降ろすのである。