もう一つ、織田信長の御廟ではないのだが、信長を祭神とした神社が、大徳寺の南、船岡山に鎮座する「建勲神社」である。
明治2年(1869)に、信長の偉勲を称え明治天皇が建勲の神号を与え、創建されたのが建勲神社である。
この神社は織田信長をご祭神とし、建勲(たけいさお)神社と言うのだが、通称「けんくんじんじゃ」と呼ばれ、船岡山に鎮座ましましている。
明治43年(1910)に船岡山の山腹にあった神社を、現在の山頂へと移している。
拝殿と本殿で、ここに信長公が祀られている。
後に嫡男信忠も合祀されるのだが、本能寺の変を聞き、妙覚寺より救援に向うも、時既に遅く、信長自刃を知り二条御所に籠もり光秀の軍と戦うも、力つき自害している。
もしこの時に信忠が京に居ず、生き残っていたならば、果たして秀吉が天下を取れたかどうかと疑問視する人も居るが、歴史は後戻りはしてくれない。
社殿を拝し階段を下に。境内には祭器庫、社務所、貴賓館が並び、初夏の午後の日差しが影を落としていた。
京都にあっては、創建が明治であり寺歴も100年強では比較的新しい部類の神社であり、観光客も大徳寺までで、この神社は人一人居らず船岡山にひっそりと建っていた。
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