寺町通を京都御苑の来た、今出川通を越えてさらに北へと歩き、「十念寺」をすぎると織田信長を始め、本能寺の変で亡くなった人達を祀る「阿弥陀寺」がある。
ここから「光明寺」「慈福寺」と続く、この辺りが寺町らしい景観を今に残している。

01山門mid
この寺も浄土宗の寺院で、山号を蓮台山、院号を総見院という。
天文24年(1555)に、清玉上人が近江の坂本に開基したのが始りという。
その後に、清玉上人が織田信長の庇護を受け、今出川大宮に移り、信長が本能寺で明智光秀に討たれると、その遺骨を持ち帰り寺に祀ったというのだが・・・
この寺も秀吉の京都改造で、天正13年(1585)に寺町のこの地に移されたのだという。

02本堂mid
駒札によれば、
『蓮台山と号する浄土宗の寺院で、本尊は丈六の阿弥陀如来である。当寺は天文年間(1532~1554)、清玉上人の開創になり、当初は西ノ京蓮台野芝薬師西町(現在の今出川大宮東)に八町四方の境内と塔頭十一ケ寺を構えていた。
また当時、正親町天皇は清玉上人に深く帰依し、東大寺大仏殿の勧進職を命じるとともに、当寺を勅願所とされた。
清玉上人は織田家と深い親交があり、天正10年(1582)6月2日の本能寺変の折、本能寺等にかけつけ、織田信長、信忠父子及び家臣百有余名の遺骸を当寺に埋葬したといわれる。
本堂には織田信長、信忠父子の木像等が安置され、墓地には信長、信忠や本能寺の変討死衆の墓、儒者皆川淇園(きえん)、俳人蝶夢の墓等がある。
京都四十八願寺巡拝の十六番札所で もある当寺は、天正15年(1587)、蓮台野からこの地に移され、現在に至っている。』
                          出典:【阿弥陀寺の駒札】より