堀川一条から堀川通を北に15分ほど歩くと(バスでは「一条戻り橋・晴明神社前」から、9または12系統に乗り「天神公園前」(所要5分)で降りるとすぐ)、かってここにあった悲田院の鎮守社とされる、水火天満宮が鎮座する。
祭神は菅原道真公である。

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水火天満宮は、菅原道真を祀る神社としては、日本最初の天満宮といわれ、延長元年(923)都の水難火難除けの神社として、60代・醍醐天皇の勅命により、延暦寺の尊意僧正が菅原道真公の神霊を勧請して、一条上る下り松の地に建立された。
水火天満宮が日本最初の天満宮と呼ばれるには、初めて道真公の神霊を勧請したことと、醍醐天皇の勅命で天満宮と称したことに由来する。
境内には、「六玉稲荷」や「登天石」また、眼病に効くという「金龍水」や安産に効用があるという「玉子石」などがあり、地元では「水火の天神さん」として親しまれている。

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菅原道真は平安時代前期に右大臣にまで上り詰めた人物だが、出る杭は打たれるの例えどおり、時の左大臣・藤原時平が醍醐天皇に道真を讒言したことから、大宰府に左遷され、そこで非業の死を遂げる。
道真の無念は怨霊となって都に戻り災いを引き起こすのである。その道真の御霊を鎮めるために、菅原道真を祭神とする天満宮が多く造られた。
水火天満宮もその一つで、醍醐天皇が水害や火災を鎮めるために、道真の師であった比叡山延暦寺の尊意僧正に命じ、延長元年(923)に、醍醐天皇より「水火の社天満自在天神宮」の号を賜り、尊意の邸宅があった西陣一条下り松に天満宮を創建したものである。
以来、長い歴史のなかで幾多の移転を繰り返し、昭和25年(1950)現在の地に鎮座し、今にいたっている。