京都駅から、市バスの9または50系統に乗り、「堀川御池」で降り、西に5分ほど歩くと神泉苑がある。
ここで東寺の空海と西寺の守敏による法力対決の舞台となり、空海が奇跡を起こすのだが・・・

善女龍王社
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神泉苑は、日照りが続き旱魃(かんばつ)の兆しがみえると、雨乞いの儀式が行われた所でもある。
神泉苑での雨乞いの歴史の中で、天長元年(824)東寺の空海と西寺の守敏(しゅびん)とが、旱魃に苦しむ民を救えと、淳和天皇の勅命により、神泉苑の法成就池で雨乞いの祈祷を行うことになった。
かって、空海と雨乞いの法を競ったときに、空海の法力に敗れていた守敏は、呪力で雨を降らせる龍神を閉じ込めて、空海の法力を封じようとしたのである。
しかし空海はこれを見抜き、北天竺に唯一つ残った善女龍王を勧請し、日本国中に雨を降らしたという。
以来、神泉苑の法成就池には善女龍王が住むようになったと云われる。
この法力対決に敗れた守敏は力を失い、西寺の衰退につながっていくのである。

法成就池
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法成就池という池は水が多く、日照り続きでも水は枯れることがなく、農民が水に苦しんだときは、水門を開いて田畑を潤したという。
またこの池で弘法大師が雨乞いの祈祷をし雨を降らせたという。
また、平安時代中期の小野小町が雨乞いの為に、詠んだ和歌を短冊にしたためて法成就池に浮かべると、たちどころに大雨が降って旱魃はおさまり、五穀豊穣となったと云う。

法成橋
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神泉苑はまた、義経と静御前とが初めて出会った所と云われている。
寿永元年(1182)7月、日本国中に日旱が続き、神泉苑にて、雨乞いが行われた。
名のある高僧100人を呼び、雨乞いの祈祷を行うが一滴も雨は降らず、また容姿端麗なる白拍子に舞をまわすのだが、99人までは空に変化はなく、100人目に静が舞始めると、にわかに空がかき曇り、黒雲が湧き出でて三日三晩、雨が降り続いたという。
この水干に立烏帽子で舞う、静の姿を義経が見初めたのだという伝えが「義経記」に残っている。
また、この橋を願いを心に念じながら渡ると、池の善女龍王が聞き届けてくれ、願いを叶えてくれると云う。