宇治十帖の五帖(49帖「宿木」)から七帖(51帖「浮舟」)まで。
四十九帖(宇治十帖(五))「宿木」は、(薫24歳春-26歳4月)
匂宮と六の君(夕霧の娘)が結婚し、懐妊中の中の君は行末を不安に思う。それを慰めるうちに彼女に恋情を抱きはじめた薫に中の君は当惑するが、無事男子を出産して安定した地位を得る。
一方で薫は女二宮(今上帝の皇女)と結婚するが傷心はなぐさまない。
しかし初瀬詣の折に、故大君生写しの異母妹浮舟を垣間見て、心を動かされるのだった。
この「宿木」の巻は、薫君が浮舟を見初めるくだりなのだが、恋の橋渡しを頼むのが弁尼なのだが、このときに薫と弁尼が詠み交わした歌、
「やどりきと思ひ出でずは 木のもとの旅寝もいかにさびしからまし」(宿木の昔泊まった家と思い出さなかったら、木の下の旅寝もどんなにか寂しかったことでしょう)
「荒れ果つる朽木のもとをやどりきと思ひおきけるほどのかなしさ」(荒れ果てた朽木のもとを、昔の泊まった家と思っていてくださるのが悲しいことです)がこの巻の名になっている。
「宿木」之古蹟を参照
五十帖(宇治十帖(六))「東屋」は、(薫26歳秋)
浮舟は母の再婚により田舎受領の継娘として育てられ、父親の財力のために求婚者は多い。
しかし母親は高貴の男性との婚姻を望んで、彼女を中の君のもとに預ける。
母の意中は薫にあったが、ある夜、匂宮が強引に契りを結ぼうとしたためにあわてて浮舟を引取り、後に薫と相談して宇治に移す。
「東屋」は薫が浮船の隠れ家を訪ねた時に詠んだ、
「さしとむるむぐらやしげき 東屋のあまりほどふる雨そそきかな」(東屋に葎が生い茂って戸口を塞いでしまったのか、あまりに長い間雨だれの落ちる中で待たされるものだ)に因む。
「東屋」之古蹟を参照
宇治十帖を巡ったのだが、一つだけ、51帖の「浮舟」が抜けているのである。
実はこの古蹟は三室戸寺の中にあり、今回は三室戸寺には寄らなかったので、「浮舟の古蹟」の写真はないのだが・・・
五十一帖(宇治十帖(七))「浮舟」は、(薫27歳春)
浮舟への執心やまぬ匂宮は、中の君への手紙から彼女の居所を察し、薫のさまを装って宇治に赴き、強引に浮舟との関係を結んでしまう。
やがて浮舟も宮を憎からず思うようになるが、何も知らない薫は彼女を京にうつそうとして準備を始め、匂宮もこれに対抗してみずからのもとに彼女を連れ去る計画を立てる。
その結果匂宮のことは薫の知るところとなり、裏切りを詰る歌を贈られた浮舟は二人の男のあいだで懊悩する。
「浮舟」は、薫の庇護を受けていた女が匂宮に連れ出されて宇治川対岸の隠れ家へ向かう途中に詠んだ、
「橘の 小島の色は かはらじを このうき舟ぞ ゆくへ知られぬ」(橘の茂る小島の色のようにあなたの心は変わらないかも知れないけれど、水に浮く小舟のような私の身は不安定でどこへ漂ってゆくかも知れません)に因む。
駒札には、
『正月、中君のところに宇治から消息があった。
浮舟のことを忘れられない匂宮は、家臣に尋ねさせたところ、まさしく浮舟は、薫君にかくまわれて宇治にいることがわかった。
そして、ある夜、闇に乗じ、薫君の風を装って偲んで行く。
浮舟が事に気づいた時はもう遅かった。
浮舟は、薫君の静かな愛情に引きかえ、情熱的な匂宮に次第に引かれていく。
薫君は物思いに沈む浮舟を見て、一層いとおしく思われた。
如月の十日頃、雪の中、宇治を訪れた匂宮は、かねて用意させていた小舟に浮舟を乗せ、橘の小島に遊び、対岸の小家に泊まって一日を語り暮した。
「橘の 小島は色も かはらじを この浮舟ぞ ゆくへ知られぬ」浮舟は、薫君との二人の間でさまざまに思い悩んだ末、遂に死を決意する。
出典:【源氏物語 宇治十帖(七)浮舟の駒札】より
出典:あらすじは【Wikipedia源氏物語あらすじ】より
-2008.10.07-



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