宇治十帖の古蹟を廻るぶらり歩きも、いよいよ終わりを向えようとしている。
いや終わりというよりも、「その頃、世に数まへられ給はぬふる宮おはしけり」と宇治十帖の幕があく、巻45帖の「橋姫」の古蹟を最後に訪ねることになったのである。
実は、今回の宇治十帖の古蹟廻りは、宇治十帖最後、源氏物語の最後の巻54帖「夢浮橋」から始め、宇治一帖となる巻45帖「橋姫」で締めくくるのである。(宇治十帖(一))
いや終わりというよりも、「その頃、世に数まへられ給はぬふる宮おはしけり」と宇治十帖の幕があく、巻45帖の「橋姫」の古蹟を最後に訪ねることになったのである。
実は、今回の宇治十帖の古蹟廻りは、宇治十帖最後、源氏物語の最後の巻54帖「夢浮橋」から始め、宇治一帖となる巻45帖「橋姫」で締めくくるのである。(宇治十帖(一))
橋姫神社は、県神社からあがた通りを北に、宇治橋の方へと歩く途中にある。
小さな社二つを持った神社である。
駒札には、
『古代より、水辺、特に橋は心霊が宿るとされており、橋姫はその守り神です。
瀬織津比咩(せおりつひめ)を祭事とする橋姫神社は、明治3年の洪水で流失するまでは宇治橋の西詰にありました。
境内には橋姫神社とならんで、同じく水の神である住吉神社が祀られています。
交通の要衝として発展してきた宇治にとって、宇治橋はとりわけ大きな意味を持っており、橋姫神社を巡って数々の伝承を生み出しています。
また、宇治が主要な舞台となっている、源氏物語宇治十帖の第一帖は、「橋姫」と名付けられており、橋姫神社はその古跡となっています。』
出典:【橋姫神社の駒札】より
瀬織津比咩は、穢れを祓う神で、水の神であり桜の神である。諸々の禍事、罪、穢れを川から海に流す妃神である。
源氏物語が宇治に舞台を移す一帖が、巻45帖の「橋姫」であり、その古蹟がこの橋姫神社である。
四十五帖「橋姫」は、(薫20-22歳10月)
源氏の弟八の宮は二人の娘とともに宇治に隠棲し、仏道三昧の生活を送る。
みずからの出生に悩む薫は八の宮の生きかたを理想としてしばしば邸を訪れるうちに、ふとしたことから長女大君に深く心を引かれるようになる。
都に戻って薫が宇治の有様を語ると、匂宮もこれに興味をそそられるのであった。
出典:【Wikipedia源氏物語あらすじ】より
与謝野晶子は、
「しめやかに こころの濡れぬ 川霧の 立ちまふ家は あはれなるかな」(晶子)と詠んだ。
駒札には、
『「その頃、世に数まへられ給はぬふる宮おはしけり。」と宇治十帖は書き始められる。
光源氏の異母弟の八宮は、北方亡き後、宇治の地で、失意と不遇の中に、二人の姫君をたいせつに育てながら、俗聖として過ごしておられた。
世の無常を感じていた薫君は、宮を慕って、仏道修行に通い、三年(みとせ)の月日が流れた。
晩秋の月の夜、薫君は琵琶と琴を弾かれる姫君たちの美しい姿を垣間見て、「あはれになつかしう」思い、
「橋姫の 心をくみて 高瀬さす 棹のしずくに 袖ぞぬれぬる」と詠んで大君に贈った。
出家を望まれる八宮は、薫君を信じ、姫君の将来をたのまれる。
その後、薫君は、自分が源氏の実子でないという出生の秘密を知ることになる。』
出典:【源氏物語 宇治十帖(一)橋姫の駒札】より
四十五帖「橋姫」の巻名は、晩秋の月の夜に、薫君が琵琶と琴をひく姫君の美しい姿を見て詠んだ、
「橋姫の 心を汲みて 高瀬さす 棹のしづくに 袖ぞ濡れぬる 眺めたまふらむかし」(姫君たちのお寂しい心をお察しして、浅瀬を漕ぐ舟の棹の、涙で袖が濡れました、物思いに沈んでいらっしゃることでしょう)に因む。
-2008.10.07-
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