宿木の古蹟から車の行き交う県道を西に歩き、平等院の南門を過ぎ少し歩くと、あがた通に面した所に「県神社」がみえてくる。

01県神社(1)mid
駒札には、
『県神社の県とは、大和政権が西日本の要地に設けた地域の組織で、特に畿内にあった県は政治と祭祀に重要な役割を占めていたと云われており、当時の宇治が属したといわれる栗隈県(くりくまあがた)に社名の起源をもとめることができます。
祭神は木花開耶媛(このはなさくやひめ)といわれ、永承7年(1052)に藤原頼道が平等院を建立した時に、その鎮守としたとも伝えられています。
毎年6月5日から6日の未明にかけて行われる県(あがた)まつりは、暗夜の奇祭といわれ多くの人出でにぎわっています。』
                            出典:【県神社の駒札】より

02県神社(2)mid
県神社は、天津彦彦火瓊々杵尊の妃である木花開耶姫命を祭神としている。もともとは県と呼ばれる地域の産土神であり、神代の昔より宇治の地主神とされていた。
後冷泉天皇の永承7年(1052)に時の関白藤原頼通が平等院を建立するにあたり、同院を鎮守し且つ藤原氏の繁栄を祈願する神社ともなった。
明治の神仏分離によって三井寺から離れ県神社となったのである。
毎年6月5日から6日の未明にかけて行われる大祭の「あがた祭り」は暗夜の奇祭として知られており、遠く近くの人々が集い大層な賑わいをみせている。
                          参照:【県神社の説明板】より
                                 -2008.10.07-