「東屋」の古蹟から府道を東に50m程歩くと、式内「彼方神社」がある。ここが四十六帖「椎本(しいがもと)」の古蹟である。(宇治十帖(二))

01椎本mid
四十六帖「椎本」は、(薫23歳2月-24歳夏)
春、匂宮は宇治に立寄り、中の君と歌の贈答をする。秋、八の宮が薨去。二人の姫君たちは薫に托された。
薫は中の君と匂宮を結婚させんことをはかり、自らはを大君に想いを告げるが彼女の返答はつれない。しかし薫の慕情はいっそうつのる。
                    出典:【Wikipedia源氏物語あらすじ】より
与謝野晶子は、
「朝の月 涙のごとくましろけれ 御寺の鐘の 水渡る時」(晶子)と詠んだ。

02彼方神社mid
彼方(おちかた)神社は、今でこそ小さな社が一つあるだけの小さな神社なのだが、延喜式(平安中期に編纂された律令の細則)に定められた式内社なのである。
格は国幣小社だろうか、昔はもっと広い境内と立派な社殿があっただろう。
彼方神社の起源や由来は詳しく判らないが、この神社もまた、宇治川からは、左程遠くない所に建っている。多分に、宇治の川の神を祀る神社だったのであろう。
そんな神社が四十六帖の「椎本」の古蹟の地となっているのは、どんな繋がりがあるのだろうか。この神社も延喜5年(905)という頃から今迄、多くの変遷があったろう。
今は小さな社しか残っていないこの神社に、椎本の地として選んだのもその内容に所以するところなのであろうか。
四十六帖の「椎本」の巻名は、薫が故八の宮を偲んで詠んだ、
「立ち寄らむ 陰とたのみし椎が本 むなしき床に なりにけるかな」(立ち寄るべき陰とお頼りしていた椎の本は空しい床になってしまったな)に因む。

03石碑mid
駒札には、
『春、花の頃、匂宮は、初瀬詣での帰路、宇治の夕霧の山荘に中宿りし、お迎えの薫君やお供の貴族たちと音楽に興じた。
楽の音は対岸の八宮の邸にもよく通い、八宮は都にいられた昔を偲ばれた。
薫君から二人の姫君のことを聞き、ゆかしく思っていた匂宮は、宇治に消息を送ったが、返事はいつも妹の中君がなさるのさった。
薫君は八宮を仏道の師と仰いで、宇治を訪れ、姉の大君に強く心をひかれていく。
八宮は死期の近いことを感じ、姫君たちに身の処し方について遺言し、信頼している薫君に姫君を頼み、秋も深いころ、阿闍梨の山寺で、さみしく静かに波乱の生涯を閉じられた。
「たちよらむ 蔭と頼みし 椎が本 むなしき床に なりにけるかな」
               出典:【源氏物語 宇治十帖(二)椎本の駒札】より
                               -2008.09.18-