足利義政の正室は日野家の富子。どうやら義政はこの富子から逃げたい為に銀閣を造ったのだという噂がある。
日本一の悪妻で恐妻家、誰が言ったか悪妻は男を強くするというが、恐妻が加わっては男はダメになるのだろうか。
そんな義政が逃げ込んだのが、詫び寂びの世界、東山のこの地に逃げ込んでしまった。

01銀閣(4)mid
逃げ込めるところのある者はいいのだが、世の男たちは悪妻や恐妻でも逃げて行くところはなく、東は新橋、西は京橋の立ち飲みや場末のスナックで下手な歌を歌いながら、浮世の憂さを晴らしているのである。
この頃の憂さ晴らしはなんと贅沢、金、銀を散りばめた堂塔伽藍を建て、後世に残る憂さ晴らしをしたのだから、今の男性諸君とはえらい違いである。
話は反れたが義政の正室である日野富子とは、室町の重鎮、日野家に生まれ康正元年(1455)16才で足利義政の正室となっている。
すぐに子供が生まれるが死産で、これは、義政の乳母、今参局の呪詛だとして彼女を追放し、さらに側室をも追放するのである。
夫、義政が政治に関与しない為に、政治にも関り京の出入口の七つに関所を設け関銭を取り、米相場の商人や高利貸などからの賄賂を受け、幕府の懐を増やし、この金によって銀閣が建てられたとも云われている。
いずれにしても、日野富子は悪女、悪妻と評価されるのだが、夫の義政が頼りなく、あまりにも前に出たことによってその評価がされたのであろう。
はたまた、一国の政治に女が関わると国を滅ぼすとはよく云ったもので、古くは、クレオパトラ、楊貴妃といえば小野小町と三大美人となるのだが、日野富子はこの三美人と比べどうだったのであろうか、聞いてみたいものである。

02洗月泉mid
錦鏡池の南東にある洗月泉。小さな滝という景観で、この水が下の東求堂の前の池や錦鏡池に流れ込んでいる。
銀閣を上から眺められる展望所へ行く登り始めのところで、湧水という感じではなく、この水は一体何処から流れてくるのであろうか。
500年もの間涸れずに流れ落ちていたのだろうかと、不思議な感じがした。

03お茶の井mid
そこから少し丘を登り中腹位の場所に、お茶の井がある。この井戸(というより水溜り?)の水を汲んで茶の湯に使ったという名水であるらしいのだが、
清水が湧き出ているというより、水溜りにしか見えず、如何に名水と云われてもこの水を直接飲もうという気にはなれなかった。

                                -2008.02.05-