銀閣が建てられた時代は応仁の乱が終わった直後で、京の町は荒れに荒れていた時代であった。

01銀閣(2)mid
時の将軍、8代足利義政が発願し、文明14年(1482)から東山の月待山の麓に造営が始められた。
銀閣の完成年は分かっていないが、長享3年(1489)に上棟式が行なわれているが、足利義政は延徳2年(1490)に銀閣の完成を待たずに歿している。
建物は、四間三間(8.2m×7m)上下二層で、屋根は宝形造杮(こけら)葺である。
初層を心空殿(白木造の書院造で、義政参禅の間とされた)、上層を潮音閣(柱間の数が正面・側面とも三つである方三間の唐様建築で桟唐戸火燈窓を配し、四方に縁をめぐらし組勾欄がある)といい、上層に銀箔を貼る予定だったが、
「幕府の財政難」や「銀箔を貼る前に義政が他界した」とかの理由で銀箔が貼られることは無かったと云われているが、本当は当初から貼る気は無かったのだはないかと思われる。
銀閣に銀箔が貼られていたとしたら今どんな銀閣となっていただろうか。金閣と同じようにきらびやかな佇まいを醸しだし、とても詫び寂びの枯淡美は造り得なかったのではないだろうか。

                                 -2008.02.05-