銀閣寺に行くには、琵琶湖疏水に架かる銀閣寺橋を渡ることになるのだが・・・
下を流れる琵琶湖疏水は、蹴上で本線から別れ疏水分線となり、南禅寺の水路閣を通り、熊野若王子、法然院、慈照寺の西側を北に向かって流れ、この銀閣寺橋で西に流れを変え今出川通を西に少し並走し、再び北に流れ松ケ崎へと流れている。
この疏水に沿った堤の、若王子橋からこの銀閣寺橋までの1.6Kmを「哲学の道」といい、桜の季節は花の通り抜けとなり最高の季節となる。
哲学の道とは、明治・大正・昭和を生きた哲学者で西田幾多郎がこの道を思索に耽りながら散歩したことから、哲学の道という名が付いたと云われる。
春は桜、秋は紅葉と多くの観光客でひしめき合い人波にもまれるのだが、今この時が一番人の少ない時期である。




コメント
コメント一覧 (1)
『京』に『哲学の道』と名づけられた散策路がある。
私は、『数学人』と自然科学や社会科学に携わる『科学人』が現象を等式で考察する時、
『数学人』のは、理性であり、『科学人』のは、量化であると思惟する。
この道を、私は、「量化の道」と念じつつ歩いている。
ヒフミヨは冥途の土産勾股弦(自然数の量化)
「理」を字分けしてみましょう。「玉(たま)」と「里(り)」の二つの部首から成り立っています。古代チャイナでは、玉は高貴で貴重なものとして扱われていました。里は「さと」や「むら」などを意味し、一定の範囲内の土地や村落を表します。左右に玉と里を置く組み合わせによって、自然の道理や真理を表す文字として、理(ことわり)を象徴しています。
次に、「量」を字分けしてみましょう。「日(にち)」と「里(り)」の二つの部首から成り立っています。日は太陽や光を表します。里は一定の範囲内の土地や村落を表します。上下に日と里を置く組合せによって、物の大きさや重さを測る文字として、量(はかること)を象徴しています。特に「量」の文字からは、「日/里」=「軌道/荒野」=「秩序(コスモ)/混沌(ケイオス)」を感じます。
哲学の道は、"Philosopher's Path"と訳されているように、日常的に哲学(愛智)する人の道ですから、まさに「理」と「量」の両面を感じながら歩くことができます。この道を歩くことで、自分自身の思索が深まり、新たな洞察を得ることができるのではないでしょうか。
youhobito
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