河原町三条を東に入ってすぐのところに、新選組を一躍有名にした池田屋騒動があった池田屋の跡がある。現在の景色からは、とても100数十年前にこんな凄惨な切りむすびがあったとは思えない。
唯、その昔を偲ぶかのように、石碑が一つ静かに建っているのみである。


01池田屋跡(1)mid
元治元年(1864)に起った池田屋騒動は、新選組を語る上ではあまりにも有名な出来事であり、知らない人はいないだろうと思われるので、ここではそれについては詳細しないが、
勤皇派が20余名に対し、近藤率いる新選組は10名、表と裏に6名を残し池田屋に切り込んだのが、近藤勇、沖田総司、永倉新八、藤堂平助の4名であった。
20数名と4人では、普通であれば数の上では圧倒的に勤皇派が有利ではあるのだが、突然の踏み込みと暗闇とで人数の把握が出来ず、
また最初に切りかかった者が沖田に一刀のもとに切り倒されたことから、逃げ腰になったものと思われる。

02池田屋跡(2)mid
この池田屋騒動で新鮮組で亡くなったのは、裏を固めていた、奥沢栄助、安藤早太郎、新田革佐衛門の三人で、ここから逃げる浪士たちによって、奥沢が斬られ他の二人も深手を負い、一月後に亡くなっている。
いずれにしても、今この場所の雰囲気からはとても昔にそんな殺伐とした事件があった所だったとは、とても思えないところである。

                                -2007.06.03-