平安神宮から円山公園につながる神宮道を東に歩くと、知恩院の大きな三門を見ることが出来る。
元和7年(1621)に、徳川秀忠公によって建立され、幅50m、高さ24mの2層構えの門となっていて、木造の門としては日本最大のものである。
知恩院は山号を華頂山といい、三門には霊元天皇の筆になる、華頂山の額が架かっている。
その三門をくぐると本道に続く長い階段があり、この階段を男坂といい、左右の桜を愛でながら登っていく。男坂は登るのに急で、その右手には女坂と呼ばれる緩やかな坂があり、男坂を登るのが大変な人達はこの女坂から本堂へと向かうことになる。
写真は、女坂を降りたところから、三門を入って男坂の登り口に咲いている桜の花を見たものである。
男坂を登りながら三門を振り返ってみると、男坂の急勾配を感じることができる。
石段の1/4位の場所から三門を振り返ってみたところ。
上まで登りつめた所から振り返って見たところ。上まで行くとあの大きい三門がはるか下に小さく見えてしまう。
上まで登ってすぐに降りる時は女坂から降りようと、息をはずませながら帰りの道を考えていた。
-2007.04.23-
元和7年(1621)に、徳川秀忠公によって建立され、幅50m、高さ24mの2層構えの門となっていて、木造の門としては日本最大のものである。
知恩院は山号を華頂山といい、三門には霊元天皇の筆になる、華頂山の額が架かっている。
その三門をくぐると本道に続く長い階段があり、この階段を男坂といい、左右の桜を愛でながら登っていく。男坂は登るのに急で、その右手には女坂と呼ばれる緩やかな坂があり、男坂を登るのが大変な人達はこの女坂から本堂へと向かうことになる。
写真は、女坂を降りたところから、三門を入って男坂の登り口に咲いている桜の花を見たものである。
男坂を登りながら三門を振り返ってみると、男坂の急勾配を感じることができる。
石段の1/4位の場所から三門を振り返ってみたところ。
上まで登りつめた所から振り返って見たところ。上まで行くとあの大きい三門がはるか下に小さく見えてしまう。
上まで登ってすぐに降りる時は女坂から降りようと、息をはずませながら帰りの道を考えていた。
-2007.04.23-
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