その途中で、ここは阿国を何百里という石碑が建っていた。若い人達は何の石碑か分からないだろうが、「ここは阿国を何百里、離れて遠き満州の、赤い夕日に照らされて、友は野末の石の下」と歌われた「戦友」という歌で、戦争を歌った歌だが、どちらかというと反戦歌のような歌である。
その歌を作った人の石碑がこんなところに建っていた。
京都駅から知恩院へくるのは、100系統のバスに乗って東山の麓を走るのり、調度、下に見える鳥居のところが東大路通りで、そこの知恩院前のバス停でおり、この鳥居を抜けて登って来ると知恩院にたどり着くことになる。
これが京都駅から一番早く知恩院にたどり着くコースなのだが、100系統のバスはいつも混むので、このバスにはあまり乗らず、この界隈に来る時は少し遠回りをしてやって来るのである。
-2007.04.22-
その歌を作った人の石碑がこんなところに建っていた。
京都駅から知恩院へくるのは、100系統のバスに乗って東山の麓を走るのり、調度、下に見える鳥居のところが東大路通りで、そこの知恩院前のバス停でおり、この鳥居を抜けて登って来ると知恩院にたどり着くことになる。
これが京都駅から一番早く知恩院にたどり着くコースなのだが、100系統のバスはいつも混むので、このバスにはあまり乗らず、この界隈に来る時は少し遠回りをしてやって来るのである。
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