青蓮院を後にして道すがらに桜を眺めながら知恩院へと向かった。
江戸時代に内裏炎上で、後桜町天皇の仮御所となったことから、粟田御所とも呼ばれる小御所の建物である。
その門の前に咲いていた桜の花と小御所の建物を見ることが出来る。
また、好文亭と呼ばれる、後桜町上皇が学問所として使っていた茶室であるが、平成5年(1993)に放火で焼失してしまい、2年後に復元された平成の建物である。
これは、花園天皇の御陵への途中の道から内を撮ったものである。
そこからさらに東へ、知恩院の黒門が見えてくる。この門の前にも今を盛りの桜の花が満開であった。
この門からは知恩院の中に入ることは出来ないのだが、神宮道を知恩院の入口まで桜を眺めながら知恩院へとたどり着くこととなる。
-2007.04.22-
江戸時代に内裏炎上で、後桜町天皇の仮御所となったことから、粟田御所とも呼ばれる小御所の建物である。
その門の前に咲いていた桜の花と小御所の建物を見ることが出来る。
また、好文亭と呼ばれる、後桜町上皇が学問所として使っていた茶室であるが、平成5年(1993)に放火で焼失してしまい、2年後に復元された平成の建物である。
これは、花園天皇の御陵への途中の道から内を撮ったものである。
そこからさらに東へ、知恩院の黒門が見えてくる。この門の前にも今を盛りの桜の花が満開であった。
この門からは知恩院の中に入ることは出来ないのだが、神宮道を知恩院の入口まで桜を眺めながら知恩院へとたどり着くこととなる。
-2007.04.22-
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