安倍清明が式神を隠したという、一条戻橋が堀川一条に架かっている。
戻橋の由来は、延喜18年(918)に文章博士の三善清行が亡くなった時に、その子浄蔵が急ぎかけ戻りこの橋で取り縋って泣いたところ、清行が一時生き返り親子の対面が出来たところから、戻橋の名が付いたといい、一条通にることからこの橋を「一条戻橋」という。
太平洋戦争の時にはこの橋を渡って無事戻って来るようにとの願いを込めて渡り、婚礼では絶対に渡らない橋である。もう一つ、この橋にはかの渡辺綱が鬼女の腕を切り落としたとの言い伝えも残っている。
一条戻橋の下には、安倍清明が式神を隠していたというのであるが、今、戻橋の下を覗いてみてもそんな、おどろおどろした感じは全くといってしない。
覗いてみても式神など何処に居るのかという雰囲気である。
一条通というと条里の始まりなのでさぞ大きい通りかと思うのであるが、これが一条通かと見間違うような狭い通りなのである。
案の定、一条通を見過ごしてしまい、行き過ぎて戻ってきた次第である。
この一条戻橋は、清明神社の中にあって、大正11年(1922)から平成7年(1995)まで堀川に架かっていた一条戻橋である。
今の戻橋はスマートになり過ぎて、ミステリアスには程遠いのだがまだこの戻橋が昔を偲びやすい。
安倍清明が生きていた頃の戻橋はどんな橋が架かっていたのだろうか。見れるものなら見てみたいものである。
一条が戻橋なら、二条もあり三条大橋、四条大橋、京の五条の橋の上で義経と弁慶の出会いなど、橋一つを取ってみても京の歴史を思い浮かぶことが出来る。
-2007.03.30-
戻橋の由来は、延喜18年(918)に文章博士の三善清行が亡くなった時に、その子浄蔵が急ぎかけ戻りこの橋で取り縋って泣いたところ、清行が一時生き返り親子の対面が出来たところから、戻橋の名が付いたといい、一条通にることからこの橋を「一条戻橋」という。
太平洋戦争の時にはこの橋を渡って無事戻って来るようにとの願いを込めて渡り、婚礼では絶対に渡らない橋である。もう一つ、この橋にはかの渡辺綱が鬼女の腕を切り落としたとの言い伝えも残っている。
一条戻橋の下には、安倍清明が式神を隠していたというのであるが、今、戻橋の下を覗いてみてもそんな、おどろおどろした感じは全くといってしない。
覗いてみても式神など何処に居るのかという雰囲気である。
一条通というと条里の始まりなのでさぞ大きい通りかと思うのであるが、これが一条通かと見間違うような狭い通りなのである。
案の定、一条通を見過ごしてしまい、行き過ぎて戻ってきた次第である。
この一条戻橋は、清明神社の中にあって、大正11年(1922)から平成7年(1995)まで堀川に架かっていた一条戻橋である。
今の戻橋はスマートになり過ぎて、ミステリアスには程遠いのだがまだこの戻橋が昔を偲びやすい。
安倍清明が生きていた頃の戻橋はどんな橋が架かっていたのだろうか。見れるものなら見てみたいものである。
一条が戻橋なら、二条もあり三条大橋、四条大橋、京の五条の橋の上で義経と弁慶の出会いなど、橋一つを取ってみても京の歴史を思い浮かぶことが出来る。
-2007.03.30-



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