黒谷さんの搭頭である西雲院の墓所に、会津小鉄のお墓があった。
特に見に行ったということでなく、会津藩殉難者墓地を見に行った道すがら、こんな所に小鉄のお墓があるのを見つけたのである。
会津の小鉄こと、上坂仙吉は幕末の侠客で(今でいう暴力団とは少し質が違う)文久2年(1862)に会津中将、松平容保が京都守護職として上洛した頃に、会津屋敷に入り込んで中間として働く一方、会津印の半纏を着て、賭場あらしなどをやっていたらしい。
持った長脇差が曽根虎徹であったところと短矩から、小鉄と仇名され、いつしか会津の小鉄と呼ばれるようになったとある。
鳥羽伏見の戦で敗れた会津藩士の無残に曝された遺体を収容し、手厚く葬ったとされている。
会津の小鉄というテーマで映画にもなり、歌にも歌われた人物がこんなところに眠っているとは驚きであった。
又、この西雲院には会津藩士の墓所があり、幕末の京都で斃れた二百三十七霊と鳥羽伏見で戦死した百十五霊を祀った、会津藩殉難者墓地がある。
京都守護職の本陣を金戒光明寺に置き、家臣一千名を駐屯させ京の治安を守ることになったが、会津家臣の犠牲も多くこの地に墓所を設けその菩提を弔うこととした。
その横に真っ赤に燃えた紅葉の木が、すばらしい紅色を見せていた。
-2006.11.26-
特に見に行ったということでなく、会津藩殉難者墓地を見に行った道すがら、こんな所に小鉄のお墓があるのを見つけたのである。
会津の小鉄こと、上坂仙吉は幕末の侠客で(今でいう暴力団とは少し質が違う)文久2年(1862)に会津中将、松平容保が京都守護職として上洛した頃に、会津屋敷に入り込んで中間として働く一方、会津印の半纏を着て、賭場あらしなどをやっていたらしい。
持った長脇差が曽根虎徹であったところと短矩から、小鉄と仇名され、いつしか会津の小鉄と呼ばれるようになったとある。
鳥羽伏見の戦で敗れた会津藩士の無残に曝された遺体を収容し、手厚く葬ったとされている。
会津の小鉄というテーマで映画にもなり、歌にも歌われた人物がこんなところに眠っているとは驚きであった。
又、この西雲院には会津藩士の墓所があり、幕末の京都で斃れた二百三十七霊と鳥羽伏見で戦死した百十五霊を祀った、会津藩殉難者墓地がある。
京都守護職の本陣を金戒光明寺に置き、家臣一千名を駐屯させ京の治安を守ることになったが、会津家臣の犠牲も多くこの地に墓所を設けその菩提を弔うこととした。
その横に真っ赤に燃えた紅葉の木が、すばらしい紅色を見せていた。
-2006.11.26-



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