今出川御門を入ると左側に桂宮邸跡の木簡の碑が建つ門が見えてくる。このあたりに桂宮の屋敷があったのである。

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桂宮家は四親王家(四親王家とは、伏見宮・桂宮・有栖川宮・閑院宮をいう)の一つで、桃山時代106代正親町(おおぎまち)天皇の孫にあたる、智仁(としひと)親王を祖として創設される。
智仁親王は豊臣秀吉の猶子になり、関白の地位を約束されていたのだが、秀吉に子(秀頼)が産まれると猶子が解消されたが、秀吉の上奏により「八条宮」を創設する。
その後、後継ぎが絶え「常盤井宮」「京極宮」と名を変えた後に「桂宮」として継承されるのだが、文久2年(1862)に節仁(みさひと)親王が崩御すると、姉である淑子(すみこ)内親王(孝明天皇は異母弟、和宮は異母妹にあたる)が「桂宮」を継ぐだが、明治14年(1881)に淑子内親王が薨御すると桂宮家は途絶えてしまうのである。

(猶子(ゆうし:兄弟、親類または他人の子と親子関係を結ぶことで、養子と同義だが、仮親の権勢を借り、官位の昇進や皇位継承、また他の氏族との同盟関係を強くするためで、養子のように家督や財産を相続するのが目的でなく、家に縛られるのではなく擬制的な面が強かった)

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今出川御門すぐにあった桂宮邸は、江戸時代後期の弘化年間(1845~48)に造営され、皇女和宮も徳川14代将軍家茂(いえもち)に嫁ぐ前に、ここで過ごしている。
ここにあった建物の殆どが二条城に移されて、二条城本丸御殿として今に残っている。
余談だが、智仁親王が造った別邸が、かの桂離宮であり、八条通りにあったことから、八条宮家とも呼ばれている。