乾御門と中立売御門の中間、宮内庁京都事務所の西隣に「縣井」と呼ばれる井戸がある。
そばの駒札には、
『昔この井戸のそばに縣宮という社があり、地方官吏として出世を願う者は、井戸の水で身をを清めて祈願し、宮中にのぼったといいます。
この付近は江戸時代まで五摂家の一つ一条家の屋敷地内となっており、井戸水は、明治天皇の皇后となった一条美子のうぶ湯に用いられたともいわれています。
大和物語では病気を治す水とも紹介され、井戸と辺りの山吹の風情は、後鳥羽院などの歌にも詠まれました。』
出典:【縣井の駒札】より
後鳥羽院は「蛙鳴く 県の井戸に 春暮れて 咲くやしぬらん 山吹の花」と詠んでいる。
この辺りには一条家の屋敷があった所で、一条家の三女として生まれた一条美子(いちじょうはるこ:明治天皇の皇后)、が、その時にこの井戸の水を産湯として使ったという。
梨木神社の「染井」と堀川五条の「左女牛井(さめがい)」とともに、京の三名水と呼ばれている。
京都三名水とは・・・
大和物語には、「鎌倉時代の公家・橘公平(きんひら)が悪病にかかった時に、縣井の水を飲み観音経を唱えて病気平癒を願ったところ、如意輪観音が現われ「この井の水を飲む者、必ずや病気が癒えるであろう」と告げられ、公平の病が治ったという。」
また枕草子にも、家は・・・という下りで、「家は 近衛の御門。二条みかゐ。一条もよし。染殿の宮。せかい院。菅原の院。冷泉院。閑院。朱雀院。小野の宮。紅梅。縣の井戸。竹三条。小八条。小一条。」と述べられている。
残念ながら現在は井戸は枯れてしまい、水を飲むことも井戸の中を見ることも出来ない。
そばの駒札には、
『昔この井戸のそばに縣宮という社があり、地方官吏として出世を願う者は、井戸の水で身をを清めて祈願し、宮中にのぼったといいます。
この付近は江戸時代まで五摂家の一つ一条家の屋敷地内となっており、井戸水は、明治天皇の皇后となった一条美子のうぶ湯に用いられたともいわれています。
大和物語では病気を治す水とも紹介され、井戸と辺りの山吹の風情は、後鳥羽院などの歌にも詠まれました。』
出典:【縣井の駒札】より
後鳥羽院は「蛙鳴く 県の井戸に 春暮れて 咲くやしぬらん 山吹の花」と詠んでいる。
この辺りには一条家の屋敷があった所で、一条家の三女として生まれた一条美子(いちじょうはるこ:明治天皇の皇后)、が、その時にこの井戸の水を産湯として使ったという。
梨木神社の「染井」と堀川五条の「左女牛井(さめがい)」とともに、京の三名水と呼ばれている。
京都三名水とは・・・
大和物語には、「鎌倉時代の公家・橘公平(きんひら)が悪病にかかった時に、縣井の水を飲み観音経を唱えて病気平癒を願ったところ、如意輪観音が現われ「この井の水を飲む者、必ずや病気が癒えるであろう」と告げられ、公平の病が治ったという。」
また枕草子にも、家は・・・という下りで、「家は 近衛の御門。二条みかゐ。一条もよし。染殿の宮。せかい院。菅原の院。冷泉院。閑院。朱雀院。小野の宮。紅梅。縣の井戸。竹三条。小八条。小一条。」と述べられている。
残念ながら現在は井戸は枯れてしまい、水を飲むことも井戸の中を見ることも出来ない。
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