蛤御門から、御所の南西角にある「清水谷家の椋」を過ぎると、御所の正門である「建礼門」が見える。

01健礼門(1)min
京都御所には6つの門があり、建礼門は、御所の南側にあり正面入口になる門である。
素木の切妻造、桧皮葺の柱間一間の四脚門である。
この門を入ると丹塗りの承明門があり、その向こうに紫宸殿がある。
内裏の南側にあることから「南門」とも呼ばれ、葵祭や時代祭は、この門前より出発をし、堺町御門より丸太町通へと出るのだが、建礼門から真っ直ぐに伸びる砂利道の両側には、観覧席が設けられ多勢の見物人が集まる。
かつては紫宸殿で行われる儀式の時に開かれたが、現在は天皇・皇后と国賓のみに開門される、御所のなかでも、最も格式の高い門である。

02健礼門(2)min
建礼門といえば、平家物語の終わりを締め括る人物、建礼門院の名が浮かぶ。
建礼門院は、平清盛の次女・徳子(とくし/のりこ)で、母は清盛の正室・時子(ときこ)である。
高倉天皇に入内し、治承2年(1178)に安徳天皇を生み、養和元年(1181)に、建礼門に名をとり「建礼門院」を宣下される。
(当時は、女院に内裏の門などの名を宣下した。因みに高倉天皇の母平慈子(じし/しげこ)は「建春門院」と宣下されている。