蛤御門を入りすぐの左側に松林があるのだが、「穂波の松」と呼ばれ、穂波家の庭にあった松である。

01穂波家の松min
穂波家は藤原北家の流れを汲む公家で、江戸時代の寛文年間に穂波と改称したのに始まる。
幕末の当主、穂波経渡(ほなみ つねのり)は、鳥羽伏見の戦いや戊辰戦争で各地を転戦し、明治政府で要職を務めた。
その屋敷跡の一角にあった「穂波の松」として、松林が残っている。