京都御苑を寺町御門から入ると、右に仙洞御所の築地塀、左に富小路広場がある。
右側にある仙洞御所は、譲位した天皇が住まいする所で、仙洞とは元仙人の住む処をいい、天皇の位を譲って世俗と離れ、仙人の境地になる住処として、名付けられた。
仙洞御所は京都御苑の南東にあり、江戸時代初期の三代将軍・家光の寛永4年(1627)に、後水尾天皇が譲位後の住まいとして造営されたもので「桜町殿」と言われた。
仙洞御所の建物は、寛永7年(1854)に焼失して後は再建されることはなく、邸内の東に庭園が残っているのみである。
現在は、西北に隣接する大宮御所の海舟に伴い、仙洞御所との間にあった塀を取り壊し、仙洞御所と合わせ大宮御所となっている。
明治2年(1869)に東京に遷都されても仙洞御所と呼ばれていたのだが、平成31年(2019)に125代の今上天皇が退位をし上皇となったことにより、
東京の皇居にある上皇の御所が「吹上仙洞御所」と呼ばれるようになったことから、「京都仙洞御所」と称されるようになった。
右側にある仙洞御所は、譲位した天皇が住まいする所で、仙洞とは元仙人の住む処をいい、天皇の位を譲って世俗と離れ、仙人の境地になる住処として、名付けられた。
仙洞御所は京都御苑の南東にあり、江戸時代初期の三代将軍・家光の寛永4年(1627)に、後水尾天皇が譲位後の住まいとして造営されたもので「桜町殿」と言われた。
仙洞御所の建物は、寛永7年(1854)に焼失して後は再建されることはなく、邸内の東に庭園が残っているのみである。
現在は、西北に隣接する大宮御所の海舟に伴い、仙洞御所との間にあった塀を取り壊し、仙洞御所と合わせ大宮御所となっている。
明治2年(1869)に東京に遷都されても仙洞御所と呼ばれていたのだが、平成31年(2019)に125代の今上天皇が退位をし上皇となったことにより、
東京の皇居にある上皇の御所が「吹上仙洞御所」と呼ばれるようになったことから、「京都仙洞御所」と称されるようになった。
コメント
コメント一覧 (1)
今年ももうすぐ終わりますね。仙洞御所の意味がよく理解出来ました。
体調も何とか回復に向かっています、ご心配をおかけして申し訳ございませんでした。
youhobito
がしました