摩利支天堂は禅居庵の境内にあり、禅居庵は非公開なのだが、摩利支天堂は自由に拝観することが出来るのである。



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入口は大和大路通と八坂通とにあり、どちらからでも境内に入ることが出来る。

また、建仁寺の境内からも禅居庵の門をくぐり、摩利支天堂へと入ることが出来る。

門にある説明には、

『当庵ご開山、大鑑禅師は執権北条高時の詔により、

嘉暦元年(1326)秘仏摩利支天尊像を袈裟に包み元の国より来朝され、翌年、当庵鎮守、摩利支尊天堂にお祀りをされました。

現存する堂宇は、天文16年織田信長の父、信秀により建立され、元禄・享保・安政・明治年間に整備改修を重ね、平成7年には大屋根の大修理をして今日に至っています。』

(ご参詣の方は門を入り石畳を左に、駐車場を右にお進み下さい。)との案内に沿って、摩利支天堂へと入ることが出来るのである。



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摩利支天堂は、大鑑清拙正澄禅師(だいかんせいせつしょうちょうぜんじ:1274~1339)が来朝する際に、中国より請来した摩利支天像を祀る。

禅宗の寺院では本堂の本尊とは別に、天災地変、火災盗難などから諸堂を守るために、

天部(仏教の守護神、護法神の総称)と言われる、毘沙門天、弁財天、大黒天などが祀られる。

摩利支天もその一つで、語源はサンスクリット語の「Marici(マリーチ)」の音を漢字で表したもので、

元は、威光・陽炎が神格化した古代インドの女神マーリーチに由来するという。

「仏説摩利支天経」によると、「天女あり、摩利支と名づく。

大いなる神通自在の力をもつ。常に日月天の前を行く。日天・月天は彼を見ること能わず。彼は能く日を見る。

人の見る、知る、捉える、縛る、害する、欺き誑かす、財物を債る能う無く…」とあり、

陽炎には実体が無く、捕らえられ害されることが無く、戦国武将の間に摩利支天信仰が広がった。

楠木正成や前田利家は兜の中に摩利支天の小像を入れ、山本勘介や大石内蔵助なども信仰していたと言う。