京都市下油掛町には「西岸寺」という、浄土宗の寺があり、通称「油懸地蔵」と呼ばれ信仰を集めている。



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油懸山地蔵尊西岸寺といい、本尊は地蔵尊で、伏見天皇・正親町天皇の御信仰篤く、正応3年(1290)不思議の霊験ありしにより、

文保元年(1317)伏見院別御殿(現在地)を下賜せられ、地蔵院の称号を賜ったことに始まり、天正18年(1590)雲海上人によって創建された。

町名の油掛町も「油懸地蔵」に由来している。



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駒札には、

『油懸山地蔵院西岸寺と号する浄土宗の寺で、天正18年(1590)雲海上人によって創建された。

地蔵堂には、俗に油懸地蔵と呼ばれる石仏の地蔵尊が安置されている。

寺伝によれば、昔、山崎(乙訓郡)の油商人が門前で転び、この地蔵尊にこぼした油の残りを灌(そそ)いで供養し行商に出たところ、

商売が大いに栄えたといわれ、以後、この地蔵尊に油をかけて祈願すれば願がかなうとして、人々の信仰を集めている。

境内には、「我衣(わがきぬ)に ふしみの桃の しずくせよ 芭蕉」と自然石に刻まれた句碑がある。

これは、貞享2年(1685)、当寺の第三世住職任口(宝誉)上人を訪ねた芭蕉が、上人の高徳を当時の伏見の名物であった桃に事寄せて、

その徳に浴したいと願って詠じたもので、碑は文化2年(1805)に建設された。

なお、地蔵堂は、明治維新の鳥羽伏見の戦いで類焼したため、明治27年(1894)に一度再建された。

現在の地蔵堂は、その後、昭和53年(1978)に再び建立されたものである。』

                    出典:【西岸寺(油懸地蔵)の駒札】より