京阪電車「東福寺」の駅から本町通(伏見街道)を北に5分ほど歩くと、一際目に付く「瀧尾神社」がある。 |
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瀧尾神社の創建、由緒は定かではないが、天正14年(1586)の10月に、豊臣秀吉が方広寺大仏殿を建立する際に、この地に移ったと伝えられ、爾来、泉涌寺の僧が守るところになったと云う。 |
瀧尾神社は、大丸の創始者である下村彦右衛門が厚く崇敬し、天文3年(1738)以降、数度に亙り、社殿の改修を行なっている。 |
現在の社殿も、下村家の援助により、天保11年(1840)に造営されている。 |
本殿は「北山貴船奥院御社」旧殿を移築し一部を改装したもので、その前に幣殿・拝所・東西廊が並び、これらの建物が屋根を錯綜させながら、変化に富んだ趣となっている。 |
また各社殿には華美な彫刻装飾が施され、特に拝殿の天井に彫られた龍は圧巻である。 |
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神社の説明文には、 |
『瀧尾神社の創建、由緒ははっきりしないが、天正14年(1586)10月、豊臣秀吉の方広寺大仏殿建立に伴い、当地に移ってきたと伝える。 |
また、当社は、泉涌寺の僧の守るところであったともいわれる。 |
京の豪商下村家は、当社を崇敬すること篤く、元文3年(1738)以降、数度にわたって社殿の修復を行ってきた。 |
現在の社殿もし下村家の援助により、天保10年(1839)から翌11年にかけて造営されたものである。 |
本殿は、「北山貴船奥院御社」旧殿を移建、一部改築したもので、その前に幣殿、拝所、東西廊が並び、これらの建物がそれぞれ屋根を錯綜させながら、変化に富んだ空間を構成して独特の社殿景観を形成している。 |
また、各社殿に施された豊富な彫刻装飾は、京都市内では珍しい。 |
当社は、本殿、拝殿、絵馬舎、手水舎など一連の社殿が境内にまとまって現存し、江戸時代後期の中規模神社の形態を知るうえで貴重であり、昭和59年6月1日、京都市指定有形文化財に指定された。』 |
出典:【瀧尾神社の説明文】より |
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駒札には、 |
『主祭神は大己貴命(おおむちなのみこと)。ほかに大黒天(大国主命)と弁財天、毘沙門天の三神も祀られる。 |
創建年代は不詳。洛東聾ノ谷にあった武鵜社(たけうのやしろ)が、応仁の乱(1467~1477年)で焼失、日吉坂に移転し多景社と称した。 |
更に天正14年(1586)に現在の地へ移された。 |
宝永年間(1704~1711)、「瀧尾神社」と改称。現在の社殿は、江戸時代後期・天保10年(1839)から翌11年にかけ、大丸の創業家である下村家により整備された。 |
本殿は、貴船神社奥院旧殿を移築したもので、拝殿など計八棟が京都市指定有形文化財である。 |
拝殿天井の龍は全長八メートルに及ぶ躍動感にあふれた彫刻で、京の彫物師、九山新太郎の作である。 |
回廊には十二支、水鳥や阿吽の龍、獏、鶴、鳳凰、尾長鳥、犀や麒麟などの動物や霊獣の彫刻がある。』 |
出典:【瀧尾神社の駒札】より |
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