この世とあの世の境目に建つという「六道珍皇寺」ここに小野篁が冥界に行くために使っていた井戸がある。



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謡曲の熊野(ゆや)には、遊女の熊野が母の病を気にしながら、平宗盛と清水寺へと花見に出かけるくだりがあり、

八条高倉の宗盛の屋敷から松原橋を渡り、清水寺へと一直線という途中に「六道の辻」を通るのだが、この場面が

『河原おもて過ぎ行けば、急ぐ心の程もなく、車大路や六波羅の地蔵堂よと伏し拝む・・・

げにや守りの末すぐに、頼む命は白玉の、愛宕の寺も打ち過ぎぬ。

六道の辻とかや、げに恐ろしやこの道は冥土に通ふなるものを、心ぼそ鳥辺山、煙の末もうす霞む・・・』

と謡われ、六道の辻が冥土への迷い道として知られていることが判る。



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そんな六道の辻にあるのが六道珍皇寺で、本堂の後ろの庭に、小野篁(たかむら)が冥界と行き来する時の入口である、井戸が残っている。

小野篁はその昔、宮中に仕える官吏の人であったが、この六道珍皇寺の冥界に続く井戸から夜毎、

高野槙の枝を掴んで井戸を下り、冥府で閻魔大王に仕えていたとも、また亡き母に会っていたとも云われている。

その井戸は、今は開かずの井戸として冥界の入口は封鎖されているのであるが、今後、また誰かがこの井戸を通り冥界と行き来するのであろうか。