松原通を鴨川に架かる松原橋を南に渡り、東山に向かって歩くと、冥府の辻である「六道の辻」となる。

ここが鳥辺野の入口で、今世と来世の迷い道である。

六道の辻から松原通を東に、迎え鐘で有名な「六道珍皇寺」がある。



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六道珍皇寺は平安期の延暦年間(783~)に慶俊僧都によって創建されたとも、また、

鳥辺山の辺りに住んでいた鳥部氏の菩提寺として建立されたとも云われるが、鳥部氏の衰退と共に寺も無くなってしまい、その真偽は定かでない。

その後、数多の戦禍によって寺は荒廃するのだが、貞治3年(1364)に聞渓良聰によって再興され今に至る。

平家物語は『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。』(インドにある祇園精舎という寺の鐘の音は、諸行無常と鳴っている。)

と始まるのだが、その鐘の音が、この六道珍皇寺にある「迎え鐘」に置き換えられ、平家物語の無常観を今に伝えているという。



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六道珍皇寺のいわれを駒札にみると、

『大椿山(たいちざん)と号する建仁寺の塔頭で「六道さん」として親しまれている。

この付近は、かつて死者を鳥辺野(東山区南部の阿弥陀ヶ峰北麓の五条坂から南麓の今熊野に至る丘陵地)へ

葬送する際の野辺送りの場所で、「六道の辻」と呼ばれ、この世とあの世の境といわれていた。

六道とは、

仏教で、すべての生き物が生前の善悪の行いによって必ず行くとされる地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の6種の冥界のことで、

本堂の裏にある井戸は、昼は嵯峨天皇、夜は閻魔大王に仕えた小野篁(おののたかむら)が冥土へ通った入口であったという伝説が残されている。

創建についての詳細は明らかではないが、平安・鎌倉時代には東寺に属して隆盛し、その後衰退した。

室町前期の正平(しょうへい)年間(1346~70)に建仁寺の僧、良聡(りょうそう)によって再興され、臨済宗に改められた。

薬師堂に本尊の木造薬師如来坐像(重要文化財)を安置し、閻魔堂に小野篁の作と伝わる閻魔大王像と等身大の小野篁像が祀られている。

毎年8月7日から10日までの4日間は「六道まいり」が行われ、先祖の精霊をこの世へ呼び戻す「迎え鐘」を撞く参拝者でにぎわう。』

          出典:【六道珍皇寺の駒札(東山区大和大路四条下る小松町)】より