西ノ京円町から、西大路通を北に・・・

一つ目の通りを東に入ると「紙屋川」が流れる。その紙屋川に沿って北に・・・

下立売通に架かる新下立売橋のそばに「法輪寺」がある。



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門前の右に「三国随一起上がり だるまでら 法輪寺」と刻まれた石碑が建つ。

達磨寺と呼ばれる法輪寺は、

『臨済宗妙心寺派に属し、三国随一といわれる起き上がり達磨をはじめ、心願成就を祈って奉納された八千余もの達磨を達磨堂に祀っていることから、達磨寺の名で親しまれている。

江戸時代の享保12年(1727)に、萬海和尚が創立したといわれ、珍しい等身大の寝釈迦木像、十六羅漢木像、

徳川時代の鋳匠・藤原国次作の妙音の弁天鐘、白隠禅師の「夜船閑話」で有名な京都の白川山中で数百年生きた仙人とされる白幽子の旧墓石などがある。

本堂には、わが国映画創業以来の関係者四百余霊がまつられる貴寧磨(きねま)殿や、島津源蔵(島津製作所の創業者)夫妻の念持仏を祀る学神堂等がある。

また、本堂の南側には禅の悟りの境地を示す無尽庭がある。』

                    出典:【法輪寺(達磨寺)の駒札】より



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法輪寺には、小指ほどから1メートルを超える様々な「だるま」が並ぶ達磨堂があり、8千体もの達磨が納められており、

境内のものと合わせると1万数千体にもなりことから、「だるま寺」とも呼ばれている。

昭和21年(1946)に「達磨に倣い、起き上がる」ようにと、敗戦で落ち込んだ人々を励まそうと達磨大師を祀って以来、全国から達磨が集まるようになり、今も増え続けているという。

また金箔が貼られた木像の「なで仏」があり、木像の体の部分をなでると、病が治ると云う。